「kostel sv. Štěpána 聖ステファノ教会」は14世紀半ばに建てられた教会です。
教会の直ぐそばに建つ”Rotunda svatého Longina聖槍ロタンダ”、”zvonice u kostela sv. Štěpána ステファノ教会鐘塔”と共に有名な教会です。
元々は12世紀始めにosada Rybníčekリブニーチェック地区の教区教会として”Rotunda svatého Štěpána 聖ステファノ・ロタンダ”(現”Rotunda svatého Longina聖槍ロタンダ”)が建設されます。
osada Rybníčekリブニーチェック地区は発展し、手狭となったロタンダに代わり「kostel sv. Štěpána 聖ステファノ教会」が14世紀半ばに建設され、ロタンダは”Rotunda svatého Longina 聖槍ロタンダ”と改名されます。
17世紀にヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)の命によりロタンダは廃止されます。
19世紀に教会敷地内に道路を通す計画が立ち上がり、ロタンダは取り壊される危機に瀕しましたが、国立博物館の反対により難を逃れました。現在はビザンチン=カトリック(旧称ギリシア=カトリック)に貸出され、同教会のミサが捧げられています。
警報を報せる鐘
フス戦争勃発当時、新市街にルフマルと云う名の鐘職人が居ました。彼は熱心なカトリック信者だったので、フス派は敵でした。そうでなくとも、彼の作品である鐘が掛かる尖塔を破壊するフス派を許す訳には行きません。
ある日、彼は聖シュテパン教会の為に造った鐘が完成し、鐘を掲げるよう職人に託しました。この事を知った新市街市議はフス派に対する反逆だと怒りを顕わにしました。そして、鐘を据付けられないよう画策を始めます。
しかし、ルフマルはまさかの場合の緊急を伝える警報として鐘は必要だと主張し、1542年に鐘設置を実現させました。しかし、彼の意に反し警報として鐘が成り続ける事態となります。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
住所;Na Rybníčku, Praha 2 - Nové Město
「kostel sv. Štěpána 聖ステファノ教会」周辺地図
”Rotunda svatého Longina聖槍ロタンダ”周辺地図
2010年10月4日月曜日
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