「Clam-Gallasův palácクラン・ガラス宮殿」は、新市庁舎の直ぐ前にヒッソリと隠れるようにたって居ます。
ですが、ウイーンの王宮に次ぐ美しい宮殿だと言われています。
それもそのはず。ウイーンの王宮を建設した職人が建設したからです。
1757年に完成したクラン・ガラス宮殿でで行われる演奏会会場は、あのモーツアルトやベートーベンも演奏しています。
宮殿コンサートお越しの際は、モーツアルトやベートーベンが演奏した場所で、演奏が楽しめるわけです。
またフランツ・カフカも法学部時代にインターンとしてこの宮殿にて実習しています。
宮殿の一部は役所にも貸し出されていました。1945年以降は、迎賓室など一部を除きプラハ市古文書課として利用されています。
路地裏の宮殿
宮殿は普通大通りや広場などに面した場所に目立つように聳え立っています。何故路地裏の人目につきにくい場所に豪華絢爛なクラン・ガラス宮殿が建設されたのでしょうか?
それには、以下の様な逸話が有ります。
貴族クラン・ガラスは、Královská cesta王の道に贅の限りを尽くした豪華絢爛な宮殿を目立つように創りたいと考えました。そこで、王の道の中央に位置する場所に宮殿を建て、宮殿の周りの建物は全て取り壊し広場にしたいと考えました。当然、周辺の建物を全て買い取りました。
宮殿が完成した後、クラン・ガラスが宮殿周辺の建物取り壊し許可をプラハ市に求めると、財政減を懸念したプラハ市は、建物の取り壊し許可を出す代わりに、取り壊した建物の固定資産税は今まで通り支払うようにと言い渡しました。さすがのクラン・ガラスも高額の固定資産を毎年払い続けることは無理なので、建物取り壊しを諦めました。
そこで、彼の宮殿は路地裏の奥張った場所に隠れるような形で完成することになりました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
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