Nová mincovna新造幣局は「ブラック・マドンナの家」正面に位置します。
フス派戦争が勃興し、「Kutná horaクトナー・ホラ村」の重要な造幣所「VLAŠSKÝ DVŮRヴラシュスキー・ドゥヴール 」がフス派の手に落ちた1421年に、この地に1402年に建てられた建物が新造幣局として指定されました。
1755年に老朽化した建物は建替えられ、1784年まで造幣局として使用されていました。
その後、軍中枢機関として使用されます。
1849年からは裁判所施設となり、1857年から1861年に架けOvocný trh果物広場奥に向かって拡張工事が施されます。
1938年の大改修工事を経、現在の姿となります。
現在もプラハ1区地方裁判所として利用されています。
私が銀行に勤めていた時代、この裁判所の食堂へ昼ご飯に通っていたことを今も覚えています。
2010年3月17日水曜日
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