「Konvikt コンビクト」はラテン語の共同生活から名前を取った施設です。
17世紀頃に同施設を利用していたイエズス会が、未成年修道士を共同生活させ教育する施設として利用したことに由来します。
12世紀には現在のkostel sv. Bartoloměje聖バルトメェイ教会が有る辺りに、売春宿を取り壊して建てられたkapli sv. Maří Magdaleny聖マグダレナ・マリア教会を建てたのが始まりです。
その後、この辺りにJeruzalémエルサレムと呼ばれる保護施設が現れます。
また14世紀後半にはシトー会の教育施設kolej sv. Bernarda聖ベルナルド寮も建設されます。
フス派戦争時に、これ等の施設は見捨てられ廃墟となります。
1659年にこれ等施設をイエズス会が買い取り、また回りの土地建物を買い増しし、イエズス会教育施設「Konvikt コンビクト」として整備します。
1733年にイエズス会活動が一時禁止されたことにより「Konvikt コンビクト」は競売にかけられ、舞踏・音楽会ホールとして再スタートを切る事になります。
そして1830年に、ドボルザークも学んだオルガン学校が開校します。
その後、病院施設、映画館などにも利用されます。
1945年以後は秘密警察事務所となり、秘密警察の要請により文化的価値を無視した改装が行われます。
ビロード革命により施設は元の持ち主に返還され、再度文化施設として蘇りました。
著名人を輩出した多目的ホール
コンビクトのSpolečenský sál多目的ホールでは、かの有名なベートーベンが1798年に演奏会を開いています。
また冬の間は毎週金曜日に音楽学校の生徒を始めとする関係者のコンサートが開かれていました。
このコンサートではスメタナやドボルザークも演奏しています。
[参考文献;Pražská informační služba]
住所;Konviktská 24, Praha 1 - Staré Město
「Konvikt コンビクト」の周辺地図
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