「kostel sv. Kříže Menšího 聖小十字架教会 」はプラハで一番古いロタンダです。
1125年頃に建てられたとされる同ロタンダ、元々は旧市街に住む富豪が個人の礼拝堂として建てた可能性もあるそうです。
1784年にヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)の命により教会が廃止されるまでドミニコ会が運営していたようです。
その後、民間の倉庫として利用されていました。1860年には同ロタンダを取り壊しアパートを建設する計画が浮上しましたが、プラハ市が買い取り取り壊しの運命は間逃れました。
現在はカトリック教会が管理しミサも行われています。
建設の由来には2つの面白い伝説が残っています。
信仰を貫いた少女
その昔、ロタンダ聖小十字教会が有った場所には小池がありました。
ある日、少女が磔られた十字架がこの池に掲げられました。
少女が十字架に磔られた理由は、両親に内緒で邪教であるキリスト教を信仰していた事が明らかになったからです。
しかし、その夜暴風雨が吹き荒れ、少女が磔られている十字架に落ちました。
十字架は壊れ、翌朝少女は十字架から落ち水面で静かに永遠の眠りに就いていました。
人々は、十字架上でがき苦しむ少女を神様が開放したと信じ、この地にロタンダを建設しました。
事実、ロタンダ修復工事の際、少女の磔刑の際に使用されたと思われる、雷で焦げた様な十字架が発見されたそうです。
[参考文献;Pražská informační služba]
神に導かれた商人
プラハ市旧市街には聖十字教会が有ります。この教会は、十字軍時代に子供の居ない裕福な商人が、十字軍相手に商売をする為に十字軍に付き従い東に向かって旅をしていた時に、トルコ軍に捕まり、キリスト教々会を牢獄に改装した牢屋に投獄され、長期間空腹と喉の渇きに苦しめられました。
彼は、牢獄を抜け出し幸せに成れたら、教会を献堂すると神に祈りました。
すると、彼は牢獄で十字架の幻を見るようになりました。そして、ある夜見知らぬ人が脱獄を手引きし、キリスト教徒が住む町の近くまで案内してくれました。この見知らぬ人は、町の直前で突然姿を消しました。
神に願いが届いたのか、彼は無事解放され、故郷プラハに帰ることが出来ました。そこで、彼はお礼に彼が投獄された牢屋を再現した教会を献堂しました。この教会は現在も旧市街で見ることが出来ます。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
歴史保存運動
1861年から1862年はロタンダを愛する人々にとって歴史的な年となりました。
この年ロタンダを取り壊し、貸しアパートを建設する話が持ち上がり、画家Josef Mánesヨセフ・マーネスを中心に、ロタンダ保存運動が広がりました。この運動に心動かされた建築家Ignác Ullmanイグナーチ・ウルマンは、ロタンダを無償で修復工事をすると申し出ました。
こうした市民運動の功が奏して、ロタンダ保存が決まり現在に至っています。
[参考文献;hrady.cz]
住所;Karoliny Světlé , Praha 1 - Staré Město
「kostel sv. Kříže Menšího 聖小十字架教会 」周辺地図
2010年4月16日金曜日
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