「Rudolfinum ルドルフィヌム」は、プラハに在るネオ・ルネサンス 様式建築物の中で最も重要な建築物であると言う建築的価値以外にも、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で、毎年5月12日から6月4日まで開かれている”プラハの春音楽祭”の主要会場としても無くてはならない音楽公会堂です。また国宝としても登録されています。
同公会堂はBöhmische Sparkasseボフミッシェ・ズパルカッセ(ボヘミア貯蓄組合)創立50周年を記念し建設されました。こけら落しは1885年2月8日で、プラハ音楽アカデミー校長指揮下ドボルザークのスラヴ舞曲第2番が演奏されました。
こけら落し公演に招待した主賓で、当時の宗主国オーストリア帝国ルドルフ皇太子の名を冠し「Rudolfinum ルドルフィヌム」と名付けられました。
チェコスロバキア独立後はオーストリー帝国支配の記憶を払拭するため、「Dům umělců芸術家の家」と改名されます。オーストリー帝国支配の記憶が薄れた今日、再度名前を「Rudolfinum ルドルフィヌム」に戻しています。
チェコスロバキア独立以前の1896年に、アントニン・ドヴォルザークの指揮で自身が作曲したスラヴ舞曲第3番と交響曲第9番ホ短調作品95『新世界より』を題目に初演公演を行い、同公会堂を拠点とするチェコ・フィルハーモニー管弦楽団が設立されています。この事を記念し同公会堂メインホールはドボルザーク・ホールと名付けられています。
チェコスロバキア第一共和国時代の1919年から1939年にかけて、同公会堂はチェコスロバキア連邦議事堂として利用され、一時は芸術の火が消えたかの様相でした。しかし、皮肉にもチェコを吸収併合したナチス・ドイツが再度公会堂として利用することにし、芸術の火が再度灯される事になります。しかし、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地としてではなく、ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として利用されます。
特筆すべきは、第二次世界大戦後に自分達の公会堂が手元に帰ってきたチェコ・フィルハーモニー管弦楽団は、1946年に戦争で疲れ切ったプラハ市民を元気付けようと、第一回”プラハの春音楽祭”を同公会堂で行ったことです。この魂は脈々と受け継がれ、国民的、世界的一大行事へと発展しています。
René Kubelík plays Jan Kubelík at the Rudolfinum in Prague
住所;Alšovo nábřeží 12, čp. 79/I , Praha 1 - Staré Město
「Rudolfinum ルドルフィヌム」周辺地図
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