「Bazilika sv. Jiří 聖イージー教会」はプラハで2番目に古い教会です。
920年頃ブラティスラフI世により建設されました。
973年にはロマネスク様式に建替えられています。
同教会は聖ビート教会(聖ビート大聖堂の全身)が建設されるまで、プシェミスル王朝の墓を守る教会的役割を果たしていました。
1142年に現在の姿に近い形の教会が建てられます。
ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)により教会は廃止され、その後は軍隊施設などとして利用されました。
現在はNárodní galerie v Praze - Klášter sv. Jiří国立ギャラリー・聖イージー教会展示場として利用されています。
Expozice I
Expozice II
Expozice III
Expozice IV
Nádvoří
聖イージー教会に眠る聖ルドミール
聖バーツラフが政権を母ドラホミーラから引き継いだとき、祖母ルドミールの亡骸をテティーンの教会からプラハに運ことにしました。聖バーツラフは祖母の亡骸を祖父、そして父ブラティスラフが眠る聖イージー教会に安置したかったのです。
聖バーツラフがテティーンの教会に赴き、教会関係者と共に聖ルドミールの墓を掘り返したところ、柩は完全に朽ちており、教会関係者は更に掘り続ける事に躊躇しました。しかし、聖バーツラフは躊躇することなく掘り続けると、まるで眠っているような聖ルドミールの亡骸が出てきました。今にも聖ルドミーラが殺害される際に負った頭の傷跡も癒されており、今にも寝息が聞こえそうな状態です。
人々は聖ルドミールの亡骸をプラハ城の聖イージー教会に運ぶことを誇りとしました。
現在も聖ルドミーラは聖イージー教会で安らかに眠っています。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
十字架の知らせ
聖イージー教会には大きな十字架が有ります。プシェミスル朝のオタカル1世の娘聖アナシュカが、父の無事を願い熱心にお祈りを捧げた場所です。
いつもの様に熱心に祈りを捧げていたある日、十字架のキリスト像から血が垂れ、聖アネシュカの手に滴り落ちました。彼女は、これは父オタカル二世王に対する何か悪い前兆であることを察しました。
丁度その頃、オタカル2世王はモラビア平原(マルヒフェルトの戦い)で天へ旅立ったその時だったのです。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
神の花嫁
聖イージー教会にはソフィア・アリビーン修道院長の墓標があります。
彼女は騎士と婚約し、盛大な婚約式を行いました。
婚約指輪を騎士が彼女に嵌めようとしますがはまりません。
何度やってもダメでした。
彼女は、神様が騎士との婚約を望んでいないと直感し、すぐさまイージー教会に向かい、キリストの花嫁と成る事を宣言し、自らを聖イージー教会裏に有る修道院に捧げました。
そして彼女は貞潔のシンボルとなりました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
住所;náměstí U svatého Jiří, Praha 1 - Hradčany
「Bazilika sv. Jiří 聖イージー教会」周辺地図
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