2010年7月9日金曜日

聖バルバラ祠 kaple sv. Barbory

「kaple sv. Barbory 聖バルバラ祠 」は何も説明されなければ、つい通り過ぎてしまいそうな祠です。

1725年から1730年の間の何処かでŠtěpán Kinskýシュテファン・キンスキーの寄進により建造されましたが定かな年は解りません。
彼がこの場所に祠を寄進しようと考えた動機は伝説です。
伝説とは、1512年に泥棒をしては貧しい人に施していたbratři Chlévcovéフレフツ兄弟が捕まり、祠が有る当たりで銃殺刑と成りましたが、一人は助かったそうです。この話を、実際に銃殺刑が行われた時代に生きていた歴史作家バーツラフ・ハーイエックが書き記しており、実話の可能性が高いのです。

キンスキーを感動させた伝説
プラハ城からそう遠くないフラチャニの丘には、聖バルバラを祭った祠が有ります。
祠の中には聖バルバラの絵と、銃殺刑にを言い渡されたが銃弾で死ななかった男の絵が描かれています。祠がここに有る理由は、伝説が説明してくれます。
嘗て、泥棒をしては貧しい人に分け与える2人の兄弟がいました。
2人は遂に捕まり、銃殺刑を言い渡されました。
刑執行当日、2人の内の一人には、弾が外れ当たりませんでした。
直ぐに執行人は二発目を撃ちました。
今度は肩に当りましたが銃殺することは出来ませんでした。
肩とは言え弾は当ったのですから、定められた刑は実行された事に成ります。
2度執行することは許されないので、どうすることも出来ず、男はそのまま日が暮れるまで立った状態でその場に建たされていました。
日が暮れると、肩に当った弾が自然に地面に落ちました。
男はその弾を拾い、まっしぐらに聖ベネディクト教会に赴きました。
そこは、男が朝告解をした場所です。
神父は、心から告解をすると、神はその罪を許してくださると言うことが証明されたと感激しました。
男は聖バルバラに毎日お祈りを捧げていた事も神父に話しました。
この話を世に伝える為に、処刑が行われた場所に祠が建てられました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA;hrady.cz]

GPS;N 50° 05' 18.18" E 14° 23' 34.30"
「kaple sv. Barbory 聖バルバラ祠 」周辺地図

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