2010年7月1日木曜日

聖洗者ヨハネ教会 kostel sv. Jana Křtitele v Oboře

「kostel sv. Jana Křtitele v Oboře 聖洗者ヨハネ教会」は、もう何世紀も教会としては利用されていませんが、マラーストラナ地区最初の教会であると言う伝説が残っていますので、観光スポットとして訪れる人がチラホラいます。

マラー・ストラナ最初の教会
マラー・ストラナ地区が開拓され始めた時代、Oboraオボラはまだ木々が茂る集落でした。
聖バーツラフの父ブラティスラフI世がOboraオボラにマラー・ストラナ地区最初の教会”kostel sv. Jana Křtitele 聖洗者ヨハネ教会”を建立しました。キリスト教を忌み嫌う聖バーツラフの母ドラホミーラ治世時代に教会は破壊されますが、再度再建されます。1141年にはロマネスク様式の教区教会が有ったと記録に残されています。
1354年以前に大火に遭った教会は、同年にアンナ妃により再建されます。14世紀後半以降kostel sv. Jana Křtitele 聖洗者ヨハネ教会と呼ばれるようになります。1419年にプラハ城を襲ったフス派により教会は焼き払われます。その後フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)妃アンナにより1546年教会は再建されます。1648年に同教会が建つOboraオボラ地区がマラー・ストラナ地区と合併した事を切っ掛けに、教会名をsv. Václava聖バーツラフと改名されます。
ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)の改革により1784年教会は廃止されます。その後、教会は一般住宅に改装され、教会墓地は住宅庭となりますが、マラーストラナ地区最初の教会であった記念として、建物には洗者聖ヨハネ像が残される事になります。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA;hrady.cz]

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