
門前市と云った感じで、お土産屋、レストラン、カフェ、ホテルなどが所狭しと並んでいます。
以下に、主だった建物を御紹介します。
4番 Dům Šoltysův (U Zlaté kotvy) ショルティスの家(金碇の家)
Šoltysショルティスが文具屋を営んでいた。
18世紀に2棟の建物を1棟に併合している。

1713年から1714年に架け現姿バロック様式の館となる。
現在はルーマニア大使館。

15世紀には建物が建っていた記録がある。
18世紀に現在のロココ様式の建物に建替えられる。

19世紀に現在の姿に建替えられる。
10番 Dům Švábovský ゴキブリの家
1742年に現在の姿となる。

17世紀から18世紀に架け代々続くバイオリン製作者が住んでいた。
この館では、夜中に骸骨(幽霊)がバイオリン・コンサートを開催するらしい。
13番 U Zlaté koruny 黄金冠の家
palác Kinských元キンスキー宮殿。
hostinec Hanse Turka有名なハンス・トゥルカ酒場だった時代も有る。

14世紀にはこの場所に建物が建っていた記録あり。
1696年に現在のバロック様式の姿となる。
17番
嘗て舞踏会場が有り賑わっていた。

18世紀ごろ壁に聖人ヤン・ネポムツキーと聖人フロリアンの絵が描かれる。
19番
1711年まで城を守る最後の砦Strahovská bránaストラホフ門があった。
現在の建物は19世紀に建設されている。

1924年よりイタリア大使館として利用されている。
元々有った民家5軒が有った場所に18世紀に宮殿建設。

1672年に修道院施設建設が始まる。
その後建物は増改築を繰り返しながら拡大してゆく。
共産党政権時代も教会は廃止されること無く運営されていた。
25番 Osel u kolébky ロバの揺篭
通りの名前ともなっているJan Neruda ヤン・ネルダが1835から1841年にかけて住んでいた。
以前はStrahovská uliceストラホフ通り、Sparrengasseスパレンガッセと呼ばれていた。
建物は1706年建設、バロック様式。

元々は城を守る要塞の壁だった。
18世紀頃には鍵屋が建てられた。
29番 U Bonapartůボナパルトの家
1770年から1775年に架け酒場”U Bonapartůボナパルトの家”として建設された。

現在、薬局の歴史を紹介する国立博物館分館として利用されている。
1821年より薬局が”U Zlaté podkovy 金馬蹄の家”より移転。
33番 Bretfeldský (Breitfeldský) palác
元々民家だったが1765年に宮殿建設。
嘗て社交場が有り、Giovanni Casanova ジョヴァンニ・カッシーニ、Wolfgang Amadeus Mozartモーツアルトも訪れている。

1749年に薬局として開業。
屋号は、入口上部に描かれている聖バーツラフが乗っている馬、つまり馬蹄の下と云う意味。

1873年建設のバロック様式建築物。

19世紀に改装され現在の姿となる。
40番 Jánský sklep (U žaláře sv. Jana) ヤンの地下室(聖ヤンの地下牢)
17世紀と18世紀の節目頃に建てられた建物。


41番と43番は一つの建物となっている。
1729年に”赤獅子”と”緑蟹”の看板が掲げられた。

1841年から1845年と1857年から1869年に架け通りの名前ともなっているJan Neruda ヤン・ネルダが住んでいた。彼の父親は、この建物でタバコ屋を営んでいた。

1845年から1859年に架け名前ともなっているJan Neruda ヤン・ネルダが住んでいた。
ルネッサンス様式の建物を1673年から1690年に架けバロック様式に建替えている。
「Nerudova ulice ネルダ通り」周辺地

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