2010年8月3日火曜日

[プラハ城]ダリボルカ Daliborka

「Daliborka ダリボルカ」はウラースロー2世治世時代の1496年に要塞搭として建てられました。
1781年に消失するまで、牢獄として利用されています。
最初の囚人はLitoměřiceリトメジツェ村の騎士Daliborダリボルだとされています。
騎士ダリボルはフス派戦争混乱の時代、悪政に苦しむ民衆代表となりPloskoviceプロスコビツェ村城主に対して蜂起した民衆指導者として、1946年に逮捕・投獄されています。
1782年に一階分低く建て直され、1883年より一般公開されています。

ダリボルは急速にバイオリンを学んだ!
プラハ城には牢獄として使用されていた堅固な要塞搭が幾つか建っています。その中の一つにダリボル搭が有ります。
ウラースロー2世がボヘミア王だった時代、フス派戦争の渦中に有ったチェコは大混乱の時代でした。彼はハンガリーばかりに閉篭もり、滅多にプラハ城を訪れる事は有りませんでした。
その時代、豊かな貴族から金品を奪い、貧しい人々にその富を分かち合う義賊が横行していました。騎士ダリボルも民衆に人気がある義賊の一人でした。彼は勇敢ではないが、民衆を苦しめる金持ちが許せなかっただけです。
ある時、領民に重労働を課すポルスコビツェ村城主に対する一揆が発生しました。運悪くダリボル何も知らずに城の前を通りかかり、騒ぎに巻き込まれます。群集は領主に奴隷の様な労働から民衆を解放すると一筆かかせます。しかし、ダリボルは民衆を扇動した罪で捕まり、プラハ城に新しく建設された牢獄に移され幽閉される事になります。彼が最初の囚人となったので、人々はダリボル搭と呼ぶようになります。
ダリボルは牢獄で、それまで弾いたことが無かったバイオリンを与えられました。ダリボルはバイオリンを練習しました。上達が早く気付くと彼の右に出るバイオリン奏者は誰も居ないくらいと成りました。その上達振りと云うや、ダリボルのバイオリンを聴くためにプラハ市民がダリボル搭に集まるくらいでした。
ダリボルの世話に成ったリトメジツェの人々は、彼を救い出したいと願いました。しかし、それも叶わずダリボルは民主の前で処刑されました。以来、チェコでは蜂起するさいは“nouze naučila Dalibora housti ダリボルは急速にバイオリンを学んだ!”と合図するようになりました。
[参考文献;WikipediawikisourceTragédie Dalibora z Kozojed;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

スメタナのオペラ『ダリボル』(1867)も最初の囚人ダリボルをモデルに創作されました。
Bedrich Smetana : Dalibor (Ouverture)


GPS: 50° 5' 32.59"N, 14° 24' 17.69"E
「Daliborka ダリボルカ」周辺地図

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