「Čertův sloup 悪魔の石柱」は、誰が何の目的で何時この場所に置いたか誰もわかりません。
同石柱に就いて書かれた文献は1609年で、最初に御紹介する伝説が書かれております。
にには以下の様な伝説が残されています。
悪魔石柱
ビシェフラッドの教会左側に何故か大きな石が置いてあります。
この石がここに置かれているのには理由があります。
その昔、悪魔がビシェフラッドの神父と、神父が地獄に墜ちる代わりに神父の願いを全て聞き入れると約束しました。
神父は死を目前にして自分の仕出かした事の過ちを反省し後悔していました。
悪魔と交わした契約では、一回だけ神父の願いを聞き入れないで良い事に成っていました。
悪魔は神父がローマの聖母マリア教会の柱が欲しいという願いを拒否しました。
そこで神父は聖ペトロに願いを聞き入れてくれるよう取成しの祈りをしました。
聖ペトロは神父が悪魔との契約を後悔している心を読み取りました。
そこで悪魔との契約を無効にするために、神父がビシェフラッドの教会でミサを捧げている間に彼の願いを聞き入れるよう悪魔に請いました。
悪魔は聖人の願いを断ることが出来ず、神父がミサを捧げるため教会に入ろうとすると、突然神父の前に現れ、ミサの間にローマに飛んで行き、聖母マリア教会の石柱を一つ抜き取って帰ってくると約束し、慌ててプラハローマに向かいました。
悪魔が聖母マリア教会の石柱を抜き取りプラハに向かっている途上、悪魔がベニス付近に差し掛かったころ、ミサが終わるのに間に合うように飛んで帰る悪魔の前に聖ペトロが立ちはだかりました。
そこで聖ペトロに道を閉ざされた悪魔は、聖人に3回ぶつかりました。
それでも悪魔は何とか神父がまだ祭壇に居る間にビシェフラッドに戻ることが出来ましたがミサは終了していました。
そうです、約束は果たされなかったので、この時より契約は無効となり、神父を地獄に招くことは出来なくなりました。
悪魔は“あいつが居なければ間に合ったんだ”と叫び石柱を落としました。
石柱は屋根を破り、床を突き抜け3つに割れました。
石柱は長い間そのままにされていましたが、後の世に悪魔の爪あとを記念しビシェフラッド墓地に移されました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
悪魔との契約
ビシェフラッドの悪魔石柱には、こんな別の話もあります。
8人の子供を持つ貧しい男が、仕事も無く困っていました。
当ても無く森をさまよっていると、一人の猟師に出会いました。
実はこの猟師は悪魔が化けていたのです。
猟師は、現在奥さんが身籠っている子供の生活を援助して良いと提案しました。
男は何も知らず、猟師と約束を交わしました。
子供が生まれ、洗礼を授ける際の証人として猟師を呼びました。
奥さんは我が子を抱きかかえる猟師の腕を見たとき、猟師が本当は悪魔であることを見抜きました。
奥さんは、洗礼を捧げるとき聖ペトロに、悪魔との契約から子供を守ってくれるよう祈りました。
その夜、奥さんの夢枕に聖ペトロが現れました。
奥さんは”悪魔から子供を守ってくれたら、子供は神父にする”と聖人に約束しました。
ある日、男が家族と共に教会でミサを受けていたところ、猟師に化けた悪魔もミサに遣って来ました。
聖人は悪魔を呼び、もしミサが終わるまでにローマの聖母教会から石柱を持ってくる事が出来たら、子供は猟師のものにする、出来なければ子供は教会に捧げられ神父にすると約束するよう要求しました。
悪魔はシブシブ聖人の要求を受け入れ、聖母教会から石柱を運んで来るために、ローマに飛んでゆきました。しかし、ビシェフラッド目前に道が閉ざされ、悪魔はミサが終わった直後に何とか石柱を運びこんだ次第です。
約束どおり子供は教会に捧げられ神父となりました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
GPS;N 50° 03' 52.46" E 14° 25' 08.53"
「Čertův sloup 悪魔の石柱」周辺地図
2010年10月20日水曜日
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