2010年10月7日木曜日

エマウザ Emauzy

「Emauzy エマウザ」は、あのヤン・フスが学んだ修道会です。
カール4世 (神聖ローマ皇帝)がチェコで唯一スラブ語典礼を行う教会として建設した修道院です。

モラーン
皆さん、2月14日と云うと何を連想しますか?
えっ?なに?バレンタインデー!
実は1945年2月14日に連合軍がプラハを爆撃した日なのです。
Radliceラドリッエ地区、Vyšehradビシェフラッド地区、Zlíchovスリーホフ地区、Karlovo náměstíカレル広場、Nusleヌスレ地区、Vinohradyビノフラディー地区、Vršoviceブルショビッエ地区、Pankrácパンクラーツ地区に爆弾が投下され、701名の命が失われ、1,184名が怪我を負いました。
Emauzský klášterエマウジ修道院、Faustův důmファウストの家、Vinohradská synagogaビノフラディー・ユダヤ教会等の歴史的建物も被害を受けました。
今回はこのエマウジ修道院に焦点を当てチェコの伝説をお伝えします。
同修道院が建っていた場所は、リブシェ女王時代はプラハ市民の共同墓地でした。
当時の墓地は、現在のような立派な墓石が建てられている訳ではなく、ただ単に遺体を捨てるだけでした。また墓地の印として、Moranaモラナと云われる土俗信仰の死に神が祭られていました。
バーツラフ4世がキリスト教を受け入れた事を切っ掛けにモラナ像は破壊され、代わりに今日も建っているsv. Kosmy a Damiána聖コスモアとダミアン教会1348年に建設されました。
モラナは姿を消しましたが、この地は今でもMoránモラーンと呼ばれ当時を偲ばせています。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA;Wikipeia]

エマウザ教会-名前の由来
皇帝カレル四世は新市街に、スラブ文字を発明した聖ヒエロニムスを祭る新しい教会を建設しました。この教会はエマウザと呼ばれるようになりました。なぜなら復活祭2日目(1372年3月29日)に完成したからです。この日はイエスの弟子たちがエマオに向かう道の途上でイエスと出会った日です。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

エマウザ教会の旗
エマウザ教会の祭壇には、軍隊の旗が2つ掲げられています。これ等の旗は白山の戦い時に実際に使われたものです。フェルディナンド2世皇帝が勝利を記念して同教会に寄贈したものです。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

 エマウザ修道院の料理人
悪魔がエマウザ修道院長のコックと成っていた時期があります。
この悪魔は美味しい料理を提供し、修道士達を食道楽に陥れ、修道生活そっちのけで飲食に勤しむ様に仕向けました。ある夜、修道院長は台所から何か話し声が聞こえてきました。そこで、台所に赴くと悪魔が別の悪魔に、首尾良く修道士達は快楽に耽って居る事を話しているのを耳にしました。
これを聞いた修道院長は思わずその場に跪き、神に助けを請う祈りを捧げました。これを見た悪魔は恐れおののき窓から慌てて逃げてゆきました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

住所;Vyšehradská 49, čp. 320/II, Praha 2 - Nové Město
「Emauzy エマウザ」周辺地図

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