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2010年8月30日月曜日

国立博物館 Národní muzeum

「Národní muzeum 国立博物館」はバーツラフ広場を見守るかのように聳え立っています。

日本では、”チェコ語を話すことを禁止されていた時代がある。”などと云う間違った情報が流れている関係も有り、「Národní muzeum 国立博物館」の歴史は第一世界大戦前後に始まると勘違いされている様に感じます。

国立博物館の歴史は1769年に設立された”Královská česká společnost nauk王立科学チェコ協会(現Akademie věd České republiky チェコ科学アカデミー)”が設立した”Vlastenecké muzeum愛国博物館”が始まりです。この博物館は1821年から1846年まで「Šternberský palác シュテルンベルグ宮殿」を利用して運営されていました。その後1846年から1892年までNostickém paláciノスティック宮殿(「Živnostenská banka 取引銀行」)で運営されていました。現在の建物は1885年から1890年に架けて建設されております。

博物館の名前も”Vlastenecké muzeum愛国博物館”(1818~1848)--->”České muzeumチェコ博物館”(1848~1854)--->”Muzeum Království českéhoチェコ王立博物館”(1854~1919)--->「Národní muzeum 国立博物館」(1919~現在)と変遷しております。

博物館の展示物に興味が無くても、中に入るだけで価値が有ると思われるくらい素敵な建物です。この素敵な建物では、時折コンサートも時折行われております。

Czech National Museum, Prague, CZ


Česká hymna v novém kabátě. Podívejte se


Concert at Prague National Museum


住所;Václavské nám. 68, čp. 1700/II, Praha 1 - Nové Město
「Národní muzeum 国立博物館」周辺地図

2010年8月27日金曜日

聖バーツラフ像 socha sv. Václava

「socha sv. Václava 聖バーツラフ像」はバーツラフ広場のシンボルです。
1912年に聖バーツラフ像が設置され、その後聖バーツラフを囲むように聖ルドミーラ像、聖アネシュカ像、聖プロコプ像、聖ボイテェフ像が序々に付け加えられました。

現在ビシェフラッドに移転されていますが、かつて聖バーツラフ石像が1678年から1879年まで建っていました。

「socha sv. Václava 聖バーツラフ像」が建つ広場は元々Koňský trh馬広場と呼ばれていましたが、1848年にSvatováclavské náměstí聖バーツラフ広場と改名されます。何時の間にやら宗教色の無いVáclavské náměstíバーツラフ広場となります。

愛国のシンボル聖バーツラフ像
聖バーツラフ広場には甲冑を着て馬に乗っている姿の聖バーツラフ石像が有り建っていました。
伝説によると、チェコ民族は何度も戦火に見舞われますが、その都度何とか切り抜けてきました。しかし一度だけチェコ民族存亡の危機に直面するほどの危機に見舞われた事があります。
チェコ陣営は必死に抵抗しますが、陣営内部には不協和音が有り、劣勢に立ち遂には馬広場(現バーツラフ広場)まで撤退を余儀なくされます。失望したチェコ陣営は聖バーツラフに助けを願いお祈りをしました。しかし陣営内部の亀裂が残ったままでは、祈り虚しくチェコ陣営は追い詰められ、馬広場はチェコ人が流した血で溢れかえります。
溢れた血が聖バーツラフ像に到達した時に奇跡が起こりました。バーツラフ像が三度剣を振ったのです。これを合図にブラーニク山に眠っていた聖バーツラフの兵隊が電撃の様にプラハまで応援に駆け付け、生を受けたバーツラフ像と共に敵を撃退しました。
勝利と共にバーツラフの兵隊は姿を消しました。そして生を受けたバーツラフ像も元の位置に戻りました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

Prague In Your Pocket - Venceslas Square (Václavské náměstí­)


GPS;N 50° 04' 47.31" E 14° 25' 47.07"
「socha sv. Václava 聖バーツラフ像」周辺地図

2010年8月26日木曜日

グランド・ホテル・ヨーロッパ Grand Hotel Evropa

「Grand Hotel Evropa グランド・ホテル・ヨーロッパ」は、1889年に中心となる建物がたてられます。
その後1904年から1905年に増築され現在の姿となります。増設時の設計メンバーには広島原爆ドームを設計した若き日のヤン・レッツェルも名前を連ねています。

同ホテルは建設当時の設備をそのまま使っていることも有り、現在では高級ホテルの部類には入っていません。しかし、一階に有るバーツラフ広場に面しているカフェ は観光客で賑わう有名なカフェです。

Prague Travel: The Art Nouveau Beauty of the Grand Hotel Europa


住所;Václavské nám. 25, Praha 1 - Nové Město
「Grand Hotel Evropa グランド・ホテル・ヨーロッパ」周辺地図

2010年8月25日水曜日

ルツェルナ Lucerna

「Lucerna ルツェルナ」はハベル元チェコ大統領のお父上が仲間と共に建設した建物です。
この建物の地階にある大ホールは、Komerční Bankaに勤めていた時代、クリスマス・パーティーの会場として毎年訪れていました。懐かしいです。
またディナー・ショーやファッション・ショーも行われ何回か訪問したことが有ります。
映画館、カフェ、劇場、パサージュも備えた複合施設です。

1999年David Černýダビッド・チェルニー作の仰向けに死んだ馬に乗る聖バーツラフ像がパサージュに掛けてあります。この馬を下げる作業をたまたま通りかかって見たんですよね。最初に見たときは何か違和感が有りましたけど、今は名物となり観光名所の一つともなっています。

「Palác Koruna コルナ宮殿」の項でもお知らせしましたが、Automatアウトマット(軽食堂)と呼ばれる立ち食い形式のセルフサービス軽食堂”Růženkyルージェンキ”が1995年頃まで有りました。
私も何回か食事しましたが中々オツなものでした。
インターネットで見つけた食堂に就いて書かれた写真付き記事に”Růženkyルージェンキ”の写真がありました。

また有名な旅行家で旅行記Japonsko, má láska(私の愛する日本)の作者で有名なJoe Hlouchaヨエ・フロウハがヨコハマと云う日本茶店を開いていた事も伝説として残っています。

建物は1906年から1921年に架けて建設されています。
当時としては珍しい鉄筋コンクリートのセセッション様式です。

住所;Štěpánská 61, Praha 1 - Nové Město
「Lucerna ルツェルナ」周辺地図

2010年8月24日火曜日

パサージュ・スヴィエトゾール pasáž Světozor

「pasáž Světozor パサージュ・スヴィエトゾール」に入居している”kino Světozor 映画館スヴィエトゾール”に良く通いましたね。
この映画館はクーラー設備が無いのですが、地下に有るせいか夏でもヒンヤリしていて、扇風機だけで十分なんです。でも、たまには蒸し暑い時も有ったかな、、、???
このパサージュの名物は”Ovocné lahůdky Světozorオボツネー・ラフードキ・スヴィエトゾール”と云うケーキ屋さん。現在は綺麗に改装されてオシャレな店内も昔は古臭く野暮ったかったのを憶えています。
ここのアイスクリーム売り場は年中人が並んでます。シャーベットの様なアイスを、ソフトクリームの様にウエハースに乗せ振舞う独特のアイスクリームは、”starý dobrý 古くて良い”と云われ人気です。
私もここのアイスは大好きで、暖かい日くなると毎日のように仕事帰りに立寄り、「Františkánská zahrada フランシスコ修道会庭園」のベンチで頬張っていました。
その後、同僚とカフェに行き時間を潰して、(場合に寄ってはビアホール経由で)帰宅してました。

建物は”Palác bývalé České banky昔のチェコ銀行宮殿”と呼ばれ、1914年から1916年に建設されています。
”Palác bývalé České banky昔のチェコ銀行宮殿”と云う呼び方より「pasáž Světozor パサージュ・スヴィエトゾール」の方が名が通っておりピンと来る人が多いです。

住所;Václavské náměstí 32, Praha 1 - Nové Město
「pasáž Světozor パサージュ・スヴィエトゾール」周辺地図

2010年8月23日月曜日

アルファ宮殿 Palác Alfa

「Palác Alfa アルファ宮殿」は「pasáž Světozor パサージュ・スヴィエトゾール」や「Františkánská zahrada フランシスコ修道会庭園」とも繋がっているので、便利が良いロケーションにあります。

現在はその面影も有りませんが、チェコ芸能界を席巻した建物です。
1994年に閉鎖された映画館Alfa、同じく閉鎖されたダンス・カフェAlfa、1993年に別の場所に引越ししましたが、あの国民的人気歌手カレル・ゴットを始め有名人気芸能人が活躍した劇場Semaforセマフォールが入居していた建物です。

同宮殿は1928年から1929年に架け建設されました。
当初は家主の名を冠しpalác Stýblůvスティーブル宮殿、若しくはU Stýblůスティーブルの家と呼ばれていましたが、入居していたダンス・カフェAlfaが爆発的人気となり、人々は「Palác Alfa アルファ宮殿」と呼ぶようになり、何時しか登記上も「Palác Alfa アルファ宮殿」と改名されました。

同宮殿公式サイトによると現在改装中だとの事です。
改装後また昔の繁栄を取り戻せると良いですね。

住所;Václavské nám. 28 , Praha 1 - Nové Město
「Palác Alfa アルファ宮殿」周辺地図

2010年8月20日金曜日

コルナ宮殿 Palác Koruna

「Palác Koruna コルナ宮殿」は1992年まで有名な立ち食い形式のセルフサービス食堂Automat Korunaアウトマット・コルナがありました。1992年は旅行で訪れた時、そんなに有名な食堂とは知らず、たまたま昼食を取りました。立ち食いで、何か小汚い汚い食堂だなと云う印象が残っています。

この立ち食い形式のセルフサービス食堂自体は、Automatアウトマット(軽食堂)と呼ばれ今でも根強い人気で、チェコ各地にあります。
しかし、シンボル的存在であったAutomat Korunaアウトマット・コルナは、既にチェコ人の心の中に残るのみとなりました。
インターネットで写真を探しますが見つからず雰囲気を御紹介できないのが残念です。
「Lucerna ルツェルナ」にも”Růženkyルージェンキ”と云うAutomatアウトマットが過去にありました。こちらは何とか写真を発見しましたので、「Lucerna ルツェルナ」のスレッドで雰囲気をお楽しみください。

さて、「Palác Koruna コルナ宮殿」は1911年から1931年に架けて建設された建物です。
元々この場所には伝説に残るCafé Wienカフェ・ウイーンが有りました。
チェコ初のビリヤード場が有るカフェです。

このビルの目玉がlidový bufet庶民のビュッフェ、もしくはrychlé občerstvení早い軽食と呼ばれたAutomat Koruna 軽食堂コルナでした。
一階、二階部分がパサージュに成っており、商店街のようになっています。
出来た当時はチェコの流行をリードする建物として有名だったそうです。
現在も、ファッション関係のお店が立ち並んでおり、時折ファッションショーを行っています。

Iron fist show


住所;Václavské nám. 1, Praha 1 - Nové Město
「Palác Koruna コルナ宮殿」周辺地図