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2010年4月15日木曜日

コンビクト Konvikt

「Konvikt コンビクト」はラテン語の共同生活から名前を取った施設です。
17世紀頃に同施設を利用していたイエズス会が、未成年修道士を共同生活させ教育する施設として利用したことに由来します。

12世紀には現在のkostel sv. Bartoloměje聖バルトメェイ教会が有る辺りに、売春宿を取り壊して建てられたkapli sv. Maří Magdaleny聖マグダレナ・マリア教会を建てたのが始まりです。
その後、この辺りにJeruzalémエルサレムと呼ばれる保護施設が現れます。
また14世紀後半にはシトー会の教育施設kolej sv. Bernarda聖ベルナルド寮も建設されます。
フス派戦争時に、これ等の施設は見捨てられ廃墟となります。
1659年にこれ等施設をイエズス会が買い取り、また回りの土地建物を買い増しし、イエズス会教育施設「Konvikt コンビクト」として整備します。
1733年にイエズス会活動が一時禁止されたことにより「Konvikt コンビクト」は競売にかけられ、舞踏・音楽会ホールとして再スタートを切る事になります。
そして1830年に、ドボルザークも学んだオルガン学校が開校します。
その後、病院施設、映画館などにも利用されます。
1945年以後は秘密警察事務所となり、秘密警察の要請により文化的価値を無視した改装が行われます。
ビロード革命により施設は元の持ち主に返還され、再度文化施設として蘇りました。

著名人を輩出した多目的ホール
コンビクトのSpolečenský sál多目的ホールでは、かの有名なベートーベンが1798年に演奏会を開いています。
また冬の間は毎週金曜日に音楽学校の生徒を始めとする関係者のコンサートが開かれていました。
このコンサートではスメタナやドボルザークも演奏しています。
[参考文献;Pražská informační služba]

住所;Konviktská 24, Praha 1 - Staré Město 
「Konvikt コンビクト」の周辺地図

2010年3月26日金曜日

クラン・ガラス宮殿 Clam-Gallasův palác

「Clam-Gallasův palácクラン・ガラス宮殿」は、新市庁舎の直ぐ前にヒッソリと隠れるようにたって居ます。
ですが、ウイーンの王宮に次ぐ美しい宮殿だと言われています。
それもそのはず。ウイーンの王宮を建設した職人が建設したからです。
1757年に完成したクラン・ガラス宮殿でで行われる演奏会会場は、あのモーツアルトやベートーベンも演奏しています。
宮殿コンサートお越しの際は、モーツアルトやベートーベンが演奏した場所で、演奏が楽しめるわけです。
またフランツ・カフカも法学部時代にインターンとしてこの宮殿にて実習しています。
宮殿の一部は役所にも貸し出されていました。1945年以降は、迎賓室など一部を除きプラハ市古文書課として利用されています。

路地裏の宮殿
宮殿は普通大通りや広場などに面した場所に目立つように聳え立っています。何故路地裏の人目につきにくい場所に豪華絢爛なクラン・ガラス宮殿が建設されたのでしょうか?
それには、以下の様な逸話が有ります。
貴族クラン・ガラスは、Královská cesta王の道に贅の限りを尽くした豪華絢爛な宮殿を目立つように創りたいと考えました。そこで、王の道の中央に位置する場所に宮殿を建て、宮殿の周りの建物は全て取り壊し広場にしたいと考えました。当然、周辺の建物を全て買い取りました。
宮殿が完成した後、クラン・ガラスが宮殿周辺の建物取り壊し許可をプラハ市に求めると、財政減を懸念したプラハ市は、建物の取り壊し許可を出す代わりに、取り壊した建物の固定資産税は今まで通り支払うようにと言い渡しました。さすがのクラン・ガラスも高額の固定資産を毎年払い続けることは無理なので、建物取り壊しを諦めました。
そこで、彼の宮殿は路地裏の奥張った場所に隠れるような形で完成することになりました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]