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2010年10月5日火曜日

ドボルザーク博物館 Muzeum Antonína Dvořáka

「Muzeum Antonína Dvořáka ドボルザーク博物館」は、日本人スペシャルの逸話である”ドボルザーク晩年の家”に反し、ドボルザークが住んだ事の無い、ヒョットしたら訪れたことが無い建物に入居しています。

ドボルザークが生きていたのは1841年から1904年、同建物は1843年にプラハ市が購入し20世紀初頭まで女学校でした。つまり、ドボルザークが2歳の頃から他界するまで女学校でしたので、男のドボルザークが訪れたかどうか???
音楽を教えに入ったかも知れませんが、、、
記録には書いてないので、、、

1932年にドボルザーク教会が同建物敷地内にドボルザーク像を建てた事を切っ掛けに、ドボルザーク夫人より氏の遺品を寄贈され、博物館となりますが1956年までは予約を入れて中を見せてもらう格好で、常に開館していた訳では有りませんでした。

ドヴォジャーク博物館
Muzeum Antonìna Dvořáka
住所;Ke Karlovu 20, čp. 462, Praha 2 - Nové Město,
開館時間:金~水 10:00~13:30、14:00~17:00 木 11:00~15:30、16:00~19:00
休館日:月曜
入館料:大人Kč 50、学生Kč 25、家族学生Kč 90
TEL:+420 / 224 918 013
FAX : +420 / 224 923 363
E-mail: a_dvorak_museum@nm.cz
「Muzeum Antonína Dvořáka ドボルザーク博物館」周辺地図

2010年8月13日金曜日

ゾフィー宮殿 Palác Žofín

「Palác Žofín ゾフィー宮殿」はゾフィー (オーストリア大公妃)から名を戴いております。
同宮殿は1837年に脱穀業を営むVáclav Antonín Novotnýバーツラフ・アントニーン・ノボトニーが、ダンス、コンサートが開け食事も出来る社交場として同宮殿を建設しました。
同宮殿こけら落しにはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の父フランツ・カール・フォン・エスターライヒが招かれました。この際、新しい宮殿の名前をゾフィー (オーストリア大公妃)の名を戴くことをフランツ・カール・フォン・エスターライヒに直接申し出許可されています。
以来、宮殿が建つ川中島まで”ゾフィー”と呼ばれるようになりました。

同宮殿ではリスト、チャイコフスキーが演奏しいます。
1863年にはワーグナーが指揮を執りコンサートが行われています。
1878年にはドボルザークが自身の初コンサートを開いています。
1884年にプラハ市が購入しています。

Ples-Komory-SNSna-Zofine-18.02.2010


"Building Migration Relationships" 2009


住所;Slovanský ostrov 226, Praha 1 - Nové Město
「Palác Žofín ゾフィー宮殿」周辺地図

2010年4月22日木曜日

ルドルフィヌム Rudolfinum

「Rudolfinum ルドルフィヌム」は、プラハに在るネオ・ルネサンス 様式建築物の中で最も重要な建築物であると言う建築的価値以外にも、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で、毎年5月12日から6月4日まで開かれている”プラハの春音楽祭”の主要会場としても無くてはならない音楽公会堂です。また国宝としても登録されています。

同公会堂はBöhmische Sparkasseボフミッシェ・ズパルカッセ(ボヘミア貯蓄組合)創立50周年を記念し建設されました。こけら落しは1885年2月8日で、プラハ音楽アカデミー校長指揮下ドボルザークのスラヴ舞曲第2番が演奏されました。
こけら落し公演に招待した主賓で、当時の宗主国オーストリア帝国ルドルフ皇太子の名を冠し「Rudolfinum ルドルフィヌム」と名付けられました。
チェコスロバキア独立後はオーストリー帝国支配の記憶を払拭するため、「Dům umělců芸術家の家」と改名されます。オーストリー帝国支配の記憶が薄れた今日、再度名前を「Rudolfinum ルドルフィヌム」に戻しています。

チェコスロバキア独立以前の1896年に、アントニン・ドヴォルザークの指揮で自身が作曲したスラヴ舞曲第3番と交響曲第9番ホ短調作品95『新世界より』を題目に初演公演を行い、同公会堂を拠点とするチェコ・フィルハーモニー管弦楽団が設立されています。この事を記念し同公会堂メインホールはドボルザーク・ホールと名付けられています。

チェコスロバキア第一共和国時代の1919年から1939年にかけて、同公会堂はチェコスロバキア連邦議事堂として利用され、一時は芸術の火が消えたかの様相でした。しかし、皮肉にもチェコを吸収併合したナチス・ドイツが再度公会堂として利用することにし、芸術の火が再度灯される事になります。しかし、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地としてではなく、ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として利用されます。

特筆すべきは、第二次世界大戦後に自分達の公会堂が手元に帰ってきたチェコ・フィルハーモニー管弦楽団は、1946年に戦争で疲れ切ったプラハ市民を元気付けようと、第一回”プラハの春音楽祭”を同公会堂で行ったことです。この魂は脈々と受け継がれ、国民的、世界的一大行事へと発展しています。

René Kubelík plays Jan Kubelík at the Rudolfinum in Prague


住所;Alšovo nábřeží 12, čp. 79/I , Praha 1 - Staré Město
「Rudolfinum ルドルフィヌム」周辺地図

2010年4月15日木曜日

コンビクト Konvikt

「Konvikt コンビクト」はラテン語の共同生活から名前を取った施設です。
17世紀頃に同施設を利用していたイエズス会が、未成年修道士を共同生活させ教育する施設として利用したことに由来します。

12世紀には現在のkostel sv. Bartoloměje聖バルトメェイ教会が有る辺りに、売春宿を取り壊して建てられたkapli sv. Maří Magdaleny聖マグダレナ・マリア教会を建てたのが始まりです。
その後、この辺りにJeruzalémエルサレムと呼ばれる保護施設が現れます。
また14世紀後半にはシトー会の教育施設kolej sv. Bernarda聖ベルナルド寮も建設されます。
フス派戦争時に、これ等の施設は見捨てられ廃墟となります。
1659年にこれ等施設をイエズス会が買い取り、また回りの土地建物を買い増しし、イエズス会教育施設「Konvikt コンビクト」として整備します。
1733年にイエズス会活動が一時禁止されたことにより「Konvikt コンビクト」は競売にかけられ、舞踏・音楽会ホールとして再スタートを切る事になります。
そして1830年に、ドボルザークも学んだオルガン学校が開校します。
その後、病院施設、映画館などにも利用されます。
1945年以後は秘密警察事務所となり、秘密警察の要請により文化的価値を無視した改装が行われます。
ビロード革命により施設は元の持ち主に返還され、再度文化施設として蘇りました。

著名人を輩出した多目的ホール
コンビクトのSpolečenský sál多目的ホールでは、かの有名なベートーベンが1798年に演奏会を開いています。
また冬の間は毎週金曜日に音楽学校の生徒を始めとする関係者のコンサートが開かれていました。
このコンサートではスメタナやドボルザークも演奏しています。
[参考文献;Pražská informační služba]

住所;Konviktská 24, Praha 1 - Staré Město 
「Konvikt コンビクト」の周辺地図