2010年4月29日木曜日

ユダヤ人役所 Židovská radnice

「Židovská radnice ユダヤ人役所」は1577年にユダヤ人地区有力者Maiselマイセル家により寄進されたユダヤ人地区を司る役所です。同役所はユダヤ人にとって大切な”祈りの場所””学びの場所””裁判の場所””調停の場所”etc.として重要な役目を果たしていました。
1748年にゲットー制度が廃止されユダヤ人地区がプラハ市行政区に入った事から、他のプラハ地区と同等の地区役所となります。
また、ゲットー地区は1850年にゲットー廃止を決定した時のヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)に因みヨセフ地区と名付けられ、プラハ市で5番目の行政区に昇格します。

1893年に発令された衛生法により、インフラ整備が遅れていたヨセフ地区は大きな変貌を遂げる事になります。その際も、シナゴーグが破壊されないように見守りました。これは、ユダヤ教会であるシナゴーグがキリスト教会と同等の位置に有る事を意味します。
但し、当時の区画整備は教会以外の建物は行政の思いのままですので、上下水管配管工事、道路拡張の為、インフラ整備が一番遅れている同地区の殆どの家が取り壊されました。

ユダヤ人を差別して、ユダヤ人から土地を奪う為に行った区画整備だと説明しているガイドさんが結構いらっしゃる様なので、誤解の内容説明いたします。
Pražská asanaceプラハ衛星”と云う一大行事で、ゲットーだけが対象ではなく、当時のプラハ市(現在の旧市街地区、新市街地区)全てが対象で、プラハ市の衛生状態を良くする為に、主に上下水道整備、非衛生集合住宅の立替が行われました。インフラ整備が遅れていたゲットーが一番恩恵を受けたとも云えます。

ユダヤ人地区と3人の皇帝
ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)により開放されたユダヤ人地区は、フランツ・ヨーゼフ1世時代の1893年に発令された衛生法によりユダヤ人地区全体が大きな恩恵を受けました。
これ以前にも、皇帝から資金を得て地区全体が恩恵を受けた歴史があります。
1567年にゲットーは大火に遭いました。この時のルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)は、皇族財政を託していたプラハ・ゲットーの混乱を恐れ、ユダヤ人有力者Maiselマイセルにゲットー地区再建の為にお金を提供いました。この時に受けた資金でMaislová synagogaマイセル・シナゴーグ、Maisloá radniceマイセル役所、Vysoká synagoga高等シナゴーグを再建し地区発展に大きく寄与しました。
因みに、”Maisloá radniceマイセル役所”こそ現「Židovská radnice ユダヤ人役所」です。
[参考文献;Pražská informační služba]

住所;Maiselova 18, Praha 1 - Staré Město/Josefov
「Židovská radnice ユダヤ人役所」周辺地図

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