「Petřínské sady ペトシーン庭園」丘陵の麓に、リブシェ女王がプラハという小さな町(現マラーストラナ)を建設したのがプラハ市の発祥といわれています。プラハ市民にとってはとても大事な場所”心の古里”です。
ペトシーンと云う名前は17世紀以降に使われ始めた地名です。ラテン語petrusペトルス”岩、石”から名付けられました。それは、この丘にはあちらこちらに岩が転がっているからです。プラハ市の礎石と云われる場所に相応しい名前だと思います。
以前はLaurenzbergロウゼンバーグと呼ばれていました、これは同庭園に有るkaple sv. Vavřince聖バブジィネツ教会のドイツ名Laurenzeロウゼンズに由来しています。
白山の戦い以前は「Petřínské sady ペトシーン庭園」丘陵は自然の森でしたが、徐々に庭園として整備され、現在はKinského sadyキンスキー庭園、 Lobkovická zahradaロブコビッツ庭園、Zahrada Nebozízekニビゼック庭園、Růžový sadバラ園、 park U rozhledny展望台公園、Seminářská zahrada修道院庭園があります。これ等を一まとめにして 「Petřínské sady ペトシーン庭園」と呼んでいます。
プラハの由来
リブシェ女王が国家の首都として相応しい町をブルタバ川左岸に建設しようと考えた時、使いの者にブルタバ川左岸の相応しい所を探すように命じました。また同時に、また町の名前を付ける為に相応しいエピソードも探すようにとも命じました。
使いの者はペトシーン丘の麓で傷ついた2本の木を切断している夫婦を見かけ、何をしているか尋ねると「この森に引越そうと思うんだ、今新しい家の戸口Práhを作っているんだ」と答えました。
使いの者がビシェフラッド城に戻るとこの話をしました。正に新しい家(町)を作ろうとしていたリブシェ女王は、「戸口を作っていた人」の話をいたく気に入り、町の名前をPraha(戸口)と名付けました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
プラハ最初の家
入口Práhを作っていた夫婦は女王の為に働くこととなり、ペトシーン丘の麓に家を建てることになりました。
家の土台を築く為に穴を掘っていたら、樫の木と粗石が埋まっている大きな穴が出てきました。これらを取り除こうとすると、誰も消せない火が発生しました。
そこで、別の場所に穴を開けることにしました。今度はシッカリした穴が掘れ、丈夫な家を建てることが出来ました。この場所はProkopskáプロコプ通りとMaltezké naměstíマルテス広場が交わる辺りに有ったと云われています。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
現在は何も残っていませんが、左地図は伝説の「プラハ最初の家」が建てられた場所辺りです。
プラハ最初の教会
マラー・ストラナに建てられた最初の家は、現在のプロコプ通りに建てられました。
時は流れ、この家には信心深い心豊かな夫婦が住んでいました。
或る夜、夫婦の夢枕に聖プロコップが出てきて、自身の住まいを作って欲しいと頼みました。
そこで、ペトシーンから石を運び、自宅横に聖プロコップ教会を建てました。
この教会はヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)の時代までこの通りに建っていました。
毎年、聖プロコップ祭りが開催され、何千人もの人々が訪れていたそうです。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
左地図は聖プロコップ教会跡が有る場所です。
住所;Malá Strana , Praha 1 - Hradčany,
「Petřínské sady ペトシーン庭園」周辺地図
2010年6月4日金曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿