2010年6月2日水曜日

フクロウ水車 Sovovy mlýny

「Sovovy mlýny フクロウ水車」はプラハで一番古い水車小屋だと言われています。
14世紀には文献に出てきますが、14世紀以前から水車小屋が有ったと推測されています。

15世紀にmlýn sv. Jiří聖イージーの水車、15世紀後半Sovovský mlýnフクロウ水車、
Severínovskýセベリーノフ水車、Kosořskýコソジュ水車、1561年から再度Sovovskýフクロウ水車、1850年頃より短期間Odkolkovskýオドコレック水車と水車小屋の名前は、所有者が変わる毎に変遷します。
フス戦争後カンパ島はプラハ旧市街が所有し、Václavu Sovaバーツラフ・ソバ(チェコ語でソバとはフクロウの事。)が水車小屋を再建したことから、以後長い間フクロウ水車と呼ばれるようになります。
水車小屋は洪水、火事、戦災で目まぐるしくその姿を変えますが、現姿の原型は1850年より一時期同水車小屋を所有していたOdkolkovskýオドコレックと言われています。
1896年に水車小屋は大火に遭い廃墟となります。その後所有権もプラハ市に移り現代美術館構想が持ち上がりますが、現代美術を納めたMuseum Kampaカンパ博物館が完成したのは2002年です。その間一時チェコスロバキア科学アカデミー事務所として使われた事も有りましたが、おおむね廃墟でした。
私も1998年に美術館としての改修工事が始まるまで、ホームレスが占拠していたのを憶えております。

幸運を呼ぶフクロウ水車伝説
リブシェの時代、ペトシーン山の麓を中心にプラハ市は形成されました。
新しく出来た集落に多くの人が住み始めると、人々の胃袋を満たすために、麦を脱穀をするための水車小屋が必要となります。
当時人々は、必要な木を川に近い方切り出し始めました。当時はまだカンパ島が原始林に覆われていた頃です。木を切り出すとフクロウの集団が森林より飛び出していました。これは当時のキリスト教が伝わっていない当時のチェコ人にとっては幸運を呼ぶ印でした。
そこで、あらかた木々が切り倒されたフクロウの森が有った川岸に、フクロウの森から切り倒した木で水車小屋を建てる事にしました。そして、プラハ最初の水車小屋は“フクロウ水車”と名付けられました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

住所;U Sovových mlýnů 2, Praha 1 - Malá Strana
「Sovovy mlýny フクロウ水車」周辺地図


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