2010年7月6日火曜日

チェルニン宮殿 Černínský palác

「Černínský palác チェルニン宮殿」の主オーストリア帝国ヴェネツィア大使Jan Humprecht Černín z Chudenicフデニッツのヤン・フンエルヒト・チェルニンは同宮殿を含めプラハに3つの宮殿を持ち、クラーロベーフラーデツ県イイチーン郡ソボトカ村に狩猟用の城を持っていた程の栄華を誇った貴族です。

現在外務省庁舎として利用されている同宮殿は、横幅が約150㍍有り、プラハで一番長い宮殿です。
1669年から1682年に架け同宮殿は建設されました。
1742年にフランス軍とバイエルン公国軍が占拠したことも有ります。
1757年にはプロシア軍が砲撃しています。
二度の外敵からの攻撃に耐えた同宮殿ですが、18世紀後半チェルニン家はウイーンに引越ししたため、以後同宮殿は長い間貸家・空家となります。
1848年に国家が買収し、以後省庁舎として活躍しています。
1928年から1934年の大改修により現在の姿となります。

あばら屋の別荘
フラチャニの丘には「Černínský palác チェルニン宮殿」が聳え立っています。現在は美しい容姿を楽しませてくれる同宮殿は、嘗て荒れるに任され子供達は”探検ごっこ””肝試し”で盛り上がったものです。
プラハ城の目と鼻の先に有るにも係らず人々は”別荘”と呼んでいました。
それは、チェルニン家は建設しすぎた自らの宮殿を処分しようと、ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)に「Černínský palác チェルニン宮殿」を勧めた所、「皇帝と云う立場では”別荘”は必要ない。」と断られた事によります。
そこで、他の貴族にも宮殿を勧めましたが、他の貴族は皇帝の言葉を借り「”別荘”には住めない。」との返事ばかりで、誰も興味を示しませんでした。
遂にチェルニン家は宮殿転売を諦め、荒れるに任されることになり、フラチャニーのホームレスが住む”あばら家の別荘”となりました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

霊が署名した契約書
「Černínský palác チェルニン宮殿」建設を請け負った親方は、プラハで一番大きく贅沢な宮殿を建ててくれというチェルニンの注文に答えるべく、宮殿を建設しました。
何時も”良きに任せる”とドンブリ勘定で事を済ましてしまう伯爵を信じ、契約書も交わさずに宮殿建設を進めました。立派な宮殿が完成し伯爵に宮殿引渡しを待つばかりとなった時に、伯爵は猟の最中に急死してしまいました。
親方は伯爵夫人に代金支払いを願いましたが、資金管理に厳しい伯爵夫人は”主人の署名が無い書類を元に支払いなど出来ない。”と、宮殿の受け取りを拒否しました。
建設費用を受け取れなく途方に暮れた親方は、建設組合に相談しました。
組合は親方に詳細な明細書を作るように指示し、伯爵夫人との話し合いを設定しました。
話し合いが始まったかと思うと、急に組合長は夫人を伴い何かを呟きながら、会議室の後ろにある部屋に赴きました。
そこでは霊媒師がチェルニン伯爵の霊を呼び出し、明細書を添付した契約書に署名をさせている最中でした。
”伯爵夫人、*あなた方イタリア人が好むローマ法に基づき、ただ今契約が成立しました。”と一言残し組合長は話し合いを終了させました。
この引渡し書をみたチェルニン婦人は、恐れおののき宮殿代を直ぐに支払いました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
*チェルニン伯爵夫人は伯爵の赴任地ベネチア貴族の娘。

美貌を誇る未亡人の結末
「Černínský palác チェルニン宮殿」には若くて美しい未亡人が住んでいました。
伯爵が残した莫大な資産を持余し、毎夜毎夜オシャレをして舞踏会に出席するのが楽しみでした。
未亡人は何時も違う服装やアクセサリーで人々を魅了するのが楽しみでした。また、人々も未亡人が人々をアッと言わす奇抜な服装で来場し会場を盛り上げてくれるのを楽しみにしていたので、舞踏会を主催する際は必ず未亡人を招待しました。
ある舞踏会に招待された未亡人は、舞踏会にパンで作った靴を履いて出席することを思い立ちました。何時ものように迎えの馬車が来、未亡人を舞踏会会場の宮殿前まで送ってくれました。しかし、何時までたっても、会場が用意しているはずの未亡人をエスコートしてくれる男性が現れず。折角のパンで作った靴を見せびらかす機会を、今か今かとイライラしながらエスコート役の男性を待っていました。
とうとう、舞踏会が始まり最初の一曲が流れ始めました。未亡人はイライラの頂点に達していました。すると、青白い顔をしてはいたが、とても魅惑的な男性が未亡人を迎えに来ました。
夫人が宮殿に急いで入ると、玄関ホールで魅惑的な男性は「醜い御婦人、ご自分の足を御覧ください!」と言いました。未亡人が足を見ると、足から炎が出ており、パンで出来た靴は焼け焦げていました。この事態に驚き、こんなことなら悪魔か悪魔の仲間になりたいと願いました。すると、魅惑的な男性は願い通り悪魔の姿となり、未亡人は悪魔の仲間となることができました。
その後「Černínský palác チェルニン宮殿」では悪魔の仲間入りした未亡人の霊が出没するようになりました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA;hrady.cz]

住所;Loretánské náměstí 5, čp. 101, Praha 1 - Hradčany
「Černínský palác チェルニン宮殿」周辺地図

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