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2010年9月30日木曜日

聖チリルとメトジェイ教会 Sv. Cyril a Metoděj

「Sv. Cyril a Metoděj 聖チリルとメトジェイ教会」は第二次世界大戦初期にベーメン・メーレン保護領副総督 ラインハルト・ハイドリヒを暗殺した実行犯が身を潜めていた事で有名な教会です。
この暗殺事件に就いての詳細説明はWikipedia「エンスラポイド作戦」の項に譲ることにします。

同教会建物は1730年から1736年に架けて sv. Karlu Boromejskému 聖カルロ・ボッロメーオ教会として建設されたバロック様式建築物がベースとなっております。1783年に教会は廃止され、その後、軍施設として利用されることに成ります。1866年から暫くの間現ČVUT(České vysoké učení technické v Prazeチェコ技術大学)校舎として利用されます。その後、1935年9月29日より東方正教に貸出され「Sv. Cyril a Metoděj 聖チリルとメトジェイ教会」として利用されています。

1995年にはNárodní památník obětí heydrichiády国宝ハイドリヒ犠牲者碑と指定され、2002年にNárodní památník hrdinů heydrichiády国宝ハイドリヒ事件英雄碑と改名されます。

住所;Resslova 9A/Na Zderaze, Praha 2 - Nové Město
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜(3月から10月までは無休)
入館料:大人Kč 75
     子供Kč 35
     家族(大人2人、子供3人)Kč 150
電話;+420 / 224 916 100

Fax: +420 / 224 920 686
E-mail: eva.suvarska@pravoslavnacirkev.cz

「Sv. Cyril a Metoděj 聖チリルとメトジェイ教会」周辺地図

2010年9月27日月曜日

新市街役所 Novoměstská radnice

「Novoměstská radnice 新市街役所」は”Karlovo náměstí カレル広場”北側に位置する建物です。1784年にStaré Město旧市街、Nové Město新市街、Hradčanyフラチャニ、Malá Stranaマラー・ストラナがプラハ市として統合され役所としての役目を終えています。
その後、裁判所や刑務所として利用されています。
1962年に同建物はチェコ国宝に指定され、1976年から1996年に書け架け改修工事を受け、現在はプラハ2区の文化施設として活用されています。

建物は1377年に東側部分が建設されます。
1411年から1416年に架け南側部分が増築されます。
その後数度の増改築を繰り返し、1904 年から1905年の工事により現在の姿が現れます。
Konšelský salonek 市会議員用サロン
Mázhaus 飲酒場
Před věží Novoměstské radnice 新市街役所搭
Velký sál  大ホール

同建物では結婚式が挙げられます。
お問い合わせは
Odd. správních agend MČ Praha 2 プラハ2区役所行政サービス課
住所;nám. Míru 20, 120 00 Praha 2
tel.: 420/236 044 121
      420/236 044 122
fax: 224 555 100
e-mail: tenkratovai@p2.mepnet.cz

住所;Karlovo náměstí 23, čp. 1-2/II, Praha 2 - Nové Město
「Novoměstská radnice 新市街役所」周辺地図

2010年8月12日木曜日

国民劇場 Národní divadlo

「Národní divadlo 国民劇場」の話しは”ビロード革命”と同じで、日本では美化し過ぎではないかと思われるくらい、現地では語られていない日本人スペシャルの逸話が沢山存在します。
建設に当たり当初
皇帝       1万8千ズラティー
皇帝家      2万6千ズラティー
ロブコビィツ家 6千ズラティー
ホテック家    4千5百ズラティー
コロバルト・クラコフスキー家4千ズラティー、その他金額は解りませんでしたが、シュワルツンベルグ家、キンスキー家、ノスティツ家、ハラホフ家等、チェコを支配するオーストリー帝国側に立つ皇帝、有力貴族からの寄付が集まっています。

日本人スペシャルの逸話”チェコ国民がチェコ国民の為のチェコ語で上演する劇場を作るために、一般チェコ人の寄付だけに頼り建設した。”と云う話が事実だとすると、上記の寄付は一体何を意味するのでしょうか?
チェコ語での劇も「Stavovské divadlo スタボブス劇場」を始め幾つかの劇場が存在していました。

この劇場の凄さは、1881年6月11日の初演翌日に火災が発生しました。
”celonárodní katastrofa 全国民的悲劇”として語られています。
しかし、意気消沈することなく再建費用を募る募金運動が始まり僅か47日で再建費用を集め、1883年には再開を祝うこととなった事です。
個人的には、この逸話が無ければチェコ国民が一致団結することは無かったのではないかと考えています。因みに、1881年時も1883年時もスメタナのオペラ”リブシェ”でこけら落し公演が行われています。

この逸話はコマーシャルにも使われています。
Pilsner Urquell - Divadlo


住所;Národní 2 čp. 223/II, Praha 1 - Nové Město
「Národní divadlo 国民劇場」周辺地図

2010年8月11日水曜日

王宮庭園 Královská zahrada

「Královská zahrada 王宮庭園 」は1534年にフェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)により、それまで葡萄園として利用されていた土地を庭園に転用されたものです。
私にとってはプラハに住んでいた時、田舎から遊びに来た彼女と良くデートをした思い出の場所です。
”プラハの春音楽祭”会場の一つでもあります。

Letohrádek královny Annyアンナ王女夏の離宮
16世紀にフェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)が妻アンナ・ヤギエロの為に建設した夏の離宮。
ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)時代には武器庫として利用されていた。

Giardinettoギアルディネット
”Letohrádek královny Annyアンナ王女夏の離宮”に広がる幾何学模様の庭。
中央には”Zpívající fontána 歌う噴水”がある。

Zpívající fontána歌う噴水
ルネッサンス様式の噴水は、水が流れる音が歌っているように聞こえるので、こう名付けられた。

Oranžérie温室
ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)時代にオレンジ・レモンなどを栽培する目的で建設。
現在建っているのは1997年から1999年に架け建て直されたもの。

Míčovna球戯場
1567年から1569年に架け射撃場に建設。
 人気の娯楽施設であったが、ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)時代に軍倉庫に転用。
3回大火に見舞われている。
1945年5月9日ドイツ軍による放火が最後の火災。
1971年から1973年に架け改装され、現在はコンサート会場などに利用されている。

Alegorie noci夜の寓話
1733年から1734年に架けて創作されたバロック様式像。

Herkulova kašnaヘラクレス噴水
1670年に建造された噴水。

Prezidentský domek大統領公邸
1937年から1938年に架けて建設。
エドヴァルド・ベネシュ大統領時代に建設されたのでVila Dr. Eduarda Benešeエドヴァルド・ベネシュ邸とも呼ばれる。

Lví dvůrライオン庭
ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)により造られたプラハ市最初の動物園。
1740年まで動物園として機能していた。
現在は商業レストランLví dvůrとして運営されている。

Technické budovy管理棟
警護兵や城管理人の詰め所。

住所;Pražský hrad - Královská zahrada
「Královská zahrada 王宮庭園 」周辺地図
省略

2010年8月10日火曜日

プラハ城乗馬場 Jízdárna Pražského hradu

「Jízdárna Pražského hradu プラハ城乗馬場」は17世紀に建設されたバロック様式の建物です。
1760年に火事に遭い、現在の姿に改装されます。
元々は夏の乗馬場として使われていましたが、1948年から1949年に架け内装は展示場として改装されています。

2009年10月7日から2010年1月17日まで「Jízdárna Pražského hradu プラハ城乗馬場」で開催されていたJosef Čapekヨセフチャペック展開会式の映像です。
Josef Čapek na Hrad!!!


住所;U Prašného mostu 55, Pražský hrad
「Jízdárna Pražského hradu プラハ城乗馬場」周辺地図

2010年8月6日金曜日

[プラハ城]ロブコビィツ宮殿 Lobkovický palác

「Lobkovický palác ロブコビィツ宮殿」は現在ロブコビィツ家の歴史を紹介する博物館として利用されています。

13世紀頃まで、同宮殿が建っている場所には幾つかの建造物がありました。
これ等の建造物を潰し14世紀ごろに宮殿が建設されます。
所有者は転々としますが、16世紀から17世紀の変わり目に同宮殿を改修したPolyxena Pernštejnováポリセナ・ペルンシュテインがロブコビィツ家に嫁入りした為、同家所有となります。
因みに、Polyxena Pernštejnováポリセナ・ペルンシュテインは「Panna Marie Vítězná 勝利の聖母教会」に”Pražské Jezulátkoプラハの幼きイエス”を寄贈した人です。
1651年から1668年の改修により現在の姿を現します。1948年までロブコビィツ家所有でしたが、共産党政権時代国有化されました。ビロード革命後、再度同家の元に戻りました。

神聖ローマ帝国皇帝が住んでいたプラハ城に、貴族の宮殿が有るなんて何かビックリです。
しかも、現在は世界遺産に登録されているチェコ軍が護衛する国有の城です。
如何に同家が権勢を振るっていたかが伺い知れるエピソードですね。

住所;Jiřská 3/2, Praha 1 - Hradčany
「Lobkovický palác ロブコビィツ宮殿」周辺地図

2010年8月5日木曜日

[プラハ城]黒搭 Černá věž


「Černá věž 黒搭」は城を守る要塞搭として12世紀に建設されました。
カレルIV世はZlatá věž黄金搭と名付けました。これは当時尖塔に金メッキが施されていたからです。
マラーストラナ大火災後、同搭は煤で真っ黒となり「Černá věž 黒搭」と綽名されます。
この綽名が現在に至っても使われています。

GPS: 50°5'30.12"N, 14°24'18"E
「Černá věž 黒搭」周辺地図

2010年8月4日水曜日

[プラハ城]最高城伯 Nejvyšší purkrabství

「Nejvyšší purkrabství 最高城伯」と云うと、私は1994年から毎年夏のシーズンに行われているLetní shakespearovské slavnosti シェークスピア野外劇場を連想します。
夏に夕涼みをしながらの観劇はオツなものです。しかも、劇の内容はシェークスピアですから、動きだけで大体何をやっているか解るわけですよ。
皆様もどうですか?

事実上、ボヘミア王が兼務する最高城伯事務所として、1334年頃ゴシック様式建築物が建設されます。その後数回の増改築を繰り返し、16世紀後半の大改築工事で現在のルネッサンス様式の姿となります。現在はMuzeum hraček - Pražský hrad 玩具博物館として利用されています。

Letní Shakespearovské slavnosti


Letní shakespearovské slavnosti 2009


住所;Jiřská ul. Pražský hrad
「Nejvyšší purkrabství 最高城伯」周辺地図

2010年8月3日火曜日

[プラハ城]ダリボルカ Daliborka

「Daliborka ダリボルカ」はウラースロー2世治世時代の1496年に要塞搭として建てられました。
1781年に消失するまで、牢獄として利用されています。
最初の囚人はLitoměřiceリトメジツェ村の騎士Daliborダリボルだとされています。
騎士ダリボルはフス派戦争混乱の時代、悪政に苦しむ民衆代表となりPloskoviceプロスコビツェ村城主に対して蜂起した民衆指導者として、1946年に逮捕・投獄されています。
1782年に一階分低く建て直され、1883年より一般公開されています。

ダリボルは急速にバイオリンを学んだ!
プラハ城には牢獄として使用されていた堅固な要塞搭が幾つか建っています。その中の一つにダリボル搭が有ります。
ウラースロー2世がボヘミア王だった時代、フス派戦争の渦中に有ったチェコは大混乱の時代でした。彼はハンガリーばかりに閉篭もり、滅多にプラハ城を訪れる事は有りませんでした。
その時代、豊かな貴族から金品を奪い、貧しい人々にその富を分かち合う義賊が横行していました。騎士ダリボルも民衆に人気がある義賊の一人でした。彼は勇敢ではないが、民衆を苦しめる金持ちが許せなかっただけです。
ある時、領民に重労働を課すポルスコビツェ村城主に対する一揆が発生しました。運悪くダリボル何も知らずに城の前を通りかかり、騒ぎに巻き込まれます。群集は領主に奴隷の様な労働から民衆を解放すると一筆かかせます。しかし、ダリボルは民衆を扇動した罪で捕まり、プラハ城に新しく建設された牢獄に移され幽閉される事になります。彼が最初の囚人となったので、人々はダリボル搭と呼ぶようになります。
ダリボルは牢獄で、それまで弾いたことが無かったバイオリンを与えられました。ダリボルはバイオリンを練習しました。上達が早く気付くと彼の右に出るバイオリン奏者は誰も居ないくらいと成りました。その上達振りと云うや、ダリボルのバイオリンを聴くためにプラハ市民がダリボル搭に集まるくらいでした。
ダリボルの世話に成ったリトメジツェの人々は、彼を救い出したいと願いました。しかし、それも叶わずダリボルは民主の前で処刑されました。以来、チェコでは蜂起するさいは“nouze naučila Dalibora housti ダリボルは急速にバイオリンを学んだ!”と合図するようになりました。
[参考文献;Wikipedia;wikisource;Tragédie Dalibora z Kozojed;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

スメタナのオペラ『ダリボル』(1867)も最初の囚人ダリボルをモデルに創作されました。
Bedrich Smetana : Dalibor (Ouverture)


GPS: 50° 5' 32.59"N, 14° 24' 17.69"E
「Daliborka ダリボルカ」周辺地図

2010年8月2日月曜日

[プラハ城]白搭 Bílá věž

「Bílá věž 白搭」は、色が白い事からそう呼ばれています。
城を守る要塞壁に建てられた白い搭です。
白山の戦い、30年戦争等で政治犯を収容したことで知られています

鉄の女
プラハ城で最も堅固な搭は白搭だとされています。
長い間この搭には、重要政治犯が投獄されていました。
この搭には、飢餓に苦しみ天国に召された人々の骸骨が埋まれていました。
陶器に入れられた水と、一塊のパンを持った囚人が、搭に有る小さな入り口から中に入れられると、死ぬまでドアは閉ざされたままで抜け出すことは出来なかったのです。
この牢獄には、後に鉄の女と呼ばれる女性が投獄されました。
彼女は鉄の様な精神力でどんな拷問にも耐え、無実の罪を認めることはなかったのです。
とうとう白搭に閉じ込められました。
彼女が死に絶えた後、彼女の骨は鉄と化していました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

GPS;50°5'30.12"N, 14°24'11.88"E
「Bílá věž 白搭」周辺地図

2010年7月30日金曜日

[プラハ城]黄金小路 Zlatá ulička

「Zlatá ulička 黄金小路」の正式名称は”Zlatá ulička u Daliborkyダリボルの黄金小路”と云います。

この通りは城を守る要塞搭Bílá věž白塔とDaliborka.ダリボル搭を結ぶ要塞壁と城建物の間に出来た小路です。
ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)時代、この小路に城護衛を住まわす為に小さな住居が建てられ始めます。その後、城職員などがすみ始めますが、最後は貧民街となります。
錬金術師が住んでいたことから、最初の通り名はZlatnická ulice黄金通りでした。

22番の家には1916年11月から1917年3月までFranz Kafkaフランツ・カフカが住んでいました。この建物で”田舎医者 (Ein Landarzt, 1920年)”の大半を書き上げています。

第二次世界大戦後、この通りは整備され、現在はお土産屋が並ぶ観光のメッカの一つとして賑わっています。

Zlatá Ulička Nº22


GPS;50° 5′ 31.5″ N, 14° 24′ 16″ E
「Zlatá ulička 黄金小路」周辺地図

2010年7月29日木曜日

[プラハ城]諸聖人教会 kaple Všech svatých

「kaple Všech svatých 諸聖人教会」は12世紀ごろ王家プライベート用礼拝堂として建設されています。1370年にフランスのSainte Chapelleサントシャペルを模して改装されています。
1541年の大火後の1580年にルネッサンス様式に再建されました。

GPS: 50° 5' 26.79"N, 14° 24' 8.79"E
「kaple Všech svatých 諸聖人教会」周辺地図