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2010年3月19日金曜日

火薬搭 Prašná brána

ツェレトナー通りの基点となるのが「Prašná brána火薬搭」です。
同搭は、プラハ市を外的から守る為に13世紀前半より造り始められた要塞の入口です。
同塔に礎石が据えられたのは1475年です。1488年に未完成のまま工事終了する事が決定され、公的には未完の建築物です。
勿論、1488年以後何回も手を加えられました。1875年から1886年に架けての改修工事で現在の姿となります。

今日の呼び名「Prašná brána火薬搭」は、18世紀初頭から火薬庫として使われていた事に由来します。
元々は「Nová brána新搭」と呼ばれていたそうです。

搭全長は65㍍で、44㍍地点に展望台があります。

同塔を中心に道路が整備され、全ての道は火薬搭に通じるようになっていました。
そこで、戦乱に勝利してプラハに帰還した王はこの搭を起点に「Celetnáツェレトナー」―「Staroměstského náměstí旧市街広場」―「Karlovy uliceカレル通り」―「Mostecká uliceモステツカー通り」―「Karlův mostカレル橋」―「Malostranského náměstíマラーストラナ広場」―「Nerudova uliceネルドアー通り」―「プラハ城」までを凱旋行進しました。そこで凱旋行進路は別名「Královská cesta王の道」とも呼ばれています。
*注)幾つかの日本語ガイドブックでは、"Celetná"とは「王の道」と云う意味であると書いてあるようですが、「Celetnáツェレトナー」は「Královská cesta王の道」の一部でしか有りません。

Interiér I.
Interiér II.
Prašná brána
Před věží Prašné brány

Prague In Your Pocket - Powder Tower (Prašná brána)

2010年3月18日木曜日

黄金天使の家 dům U zlatého anděla

「dům U zlatého anděla金天使の家」は、「ブラックマドンナの家」対面に位置します。
この建物1階で営まれている酒場にあのモーツアルトが1787年に立寄った事で有名です。
但し、モーツアルトが立寄った時に建っていた建物は、取り壊され建替えられていますので、モーツアルトが立寄った当時とは様子が違います。

1333年にこの地に最初の建物が建てられます。
この建物は、地下に広大な食料庫が発掘されており、王の食料庫であったと言う伝説を裏付けています。
1860年に建物はホテルとして利用する為に大改装されます。
このホテルは各国の王侯貴族が宿泊したことでも知られます。

建物名の由来となった黄金天使像は、正面入口上に掲げられています。

2010年3月17日水曜日

新造幣局 Nová mincovna

Nová mincovna新造幣局は「ブラック・マドンナの家」正面に位置します。
フス派戦争が勃興し、「Kutná horaクトナー・ホラ村」の重要な造幣所「VLAŠSKÝ DVŮRヴラシュスキー・ドゥヴール 」がフス派の手に落ちた1421年に、この地に1402年に建てられた建物が新造幣局として指定されました。
1755年に老朽化した建物は建替えられ、1784年まで造幣局として使用されていました。
その後、軍中枢機関として使用されます。
1849年からは裁判所施設となり、1857年から1861年に架けOvocný trh果物広場奥に向かって拡張工事が施されます。
1938年の大改修工事を経、現在の姿となります。

現在もプラハ1区地方裁判所として利用されています。
私が銀行に勤めていた時代、この裁判所の食堂へ昼ご飯に通っていたことを今も覚えています。

2010年3月16日火曜日

ブラック・マドンナの家 dům U černé Matky Boží

「dům U černé Matky Božíブラック・マドンナの家」はCeletnáツェレトナー通りとOvocný trh果物市場が交わるところに建っています。

20世紀初頭に始まったキュビスム。
チェコで最も古いキュビスム建築と云われるのが1911年に建設された「ブラック・マドンナの家」です。
現在の建物に建て変わる前、この地にはバロック様式の建物が立て居ました。
このバロック様式の建物も「ブラック・マドンナの家」と呼ばれていました。
現「ブラック・マドンナの家」は旧「ブラック・マドンナの家」から引き継がれた”ブラック・マドンナ像”が建物正面右側角に掲げられています。
(現在掲げられている”ブラック・マドンナ”はコピーで本物は大切に保管されています。)

旧「ブラック・マドンナの家」立替が決まったとき、”Klub Za starou Prahu古いプラハの街並保存会”から猛烈な反対運動が巻き起こりました。
しかし、新「ブラック・マドンナの家」が完成すると、直ぐにプラハ市民に受入れられました。
完成当時は、一階、地階部分はワイン・レストラン、二階部分はkavárna Grand Café Orientカフェ・グランドオリエント、3階は洋服店、4階以降は事務所スペースとして利用されていました。

第一次世界大戦後は、カフェなどお店は店じまいし、1948年まで建物全体を銀行が利用していました。
その後、国営会社 n. p. Výstavnictví(展示会社)が利用していました。
1993年から1994年の大修復工事を経、現在はNárodní galerie国立ギャラリー所有となり、二階部分のカフェは建設当時の資料を基に忠実に再現され、kavárna Grand Café Orientカフェ・グランドオリエントとして運営されています。
一階地階部分は書籍店として運営され、その他の部分はMuzeum českého kubismuキュービズム博物館として利用されています。
Muzeum českého kubismu
Točité schodiště

Prague In Your Pocket - Museum of Cubism/Kubista

2010年3月15日月曜日

間寛平さんが立寄ったパスタ屋 Ristorante Pasta Fresca

間寛平さんの2009年10月27日付けアースマラソン公式ブログで紹介されているプラハを訪れた際に食事したパスタ屋さん“Ristorante Pasta Fresca”を御紹介します。
このレストランは、Celetná 11 ツェレトナー通り11番の地下ワインセラーを利用したレストランです。
内装は白で統一された、なかなか洒落た雰囲気です。

ブログに書いてある間寛平さんお気に入りのワインは特定出来ませんでした。
同店ワインリストには12種類のモラビア(チェコ)ワインが書いてあります。

間寛平さんが食べたパスタは何なんでしょうかね?
メニューからだけでは判定できませんでした。

2010年3月12日金曜日

シクストの家 dům U Sixtů

dům U Sixtůdůmシクストの家は旧市街広場からツェレトナー通りに入って直ぐのところに有る建物です。
カフカが1889年から1996年に架けて住んでいたことでも知られています。
残念な事に1995年に内装は大改装が施され、内装はカフカが住んでいた面影は有りません。

この建物は1523年以前にゴシック様式の建物として建設されました。1607年から1612年に架けてルネッサンス様式に改装されます。
所有は数々変わりますが、1560年に貴族シクストが購入し以後、建物は彼の名前が冠せられます。
貴族シクストは、1547年のフェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)に対する「Stavovský odboj地主の反乱」スポークスマンとなります。この反乱は皇帝軍により沈静され、貴族シクストは暫くの間プラハ城に幽閉されます。
貴族シクストは釈放された後、執筆に専念します。

貴族シクスト以後も建物の所有者は転々とします。
こんな逸話も残っています。
プラハvsラコブニーク麦酒戦争
16世紀にはラコブニーク村製ビールを振舞う酒場となります。プラハ市のビール製造者は、プラハ市以外で製造されたビールをプラハ市で販売することを快く思いませんでした。
ここにプラハvsラコブニーク麦酒戦争が勃発します。
麦酒戦争は美味しいビールを製造し、ラコブニーク村製ビールを追い出せばプラハ市の勝ち、プラハ市に負けないビールを供給し酒場を死守すればラコブニーク村の勝ちです。
この戦いの行方は、、、
ラコブニーク村が勝利し見事酒場を死守したそうです。
[参考文献;Pražská informační služba]

1995年から1996年にかけ 発掘調査が行われた際、地下から財宝の数々が発見され、有る言い伝えが史実であった事が証明されました。
神の財宝
シクストの家で酒場を営む店主が、カレル橋を渡っていたときに聖ヤン・ポネポムツキー像を見ながらこう思いました。
「色あせした像を綺麗にしたいな。せめて頭を囲んでいる星の一つで良いから金ピカに輝かせてみたいな。」
するとその夜、店主の枕元に何者かが現れ、店主を地下室に連れてゆきました。
そこにはワックスで創られた聖ヤン・ネポムツキー像と財宝が有りました。
店主はこの財宝を使い、カレル橋に建つ聖ヤン・ネポムツキー像を修復しました。
[参考文献;Pražská informační služba]
正に、このワックス製聖ヤン・ポネポムツキー像が発見されたのです。

また同発掘調査では「ティーン前の聖母マリア教会(ティーン教会) kostel Panny Marie před Týnem (Týnský chrám)」で御紹介した逸話『プラハ最初の教会』に出てくる地下の存在も明らかになりました。