聖ヤコブ教会Sv. Jakub Staršíは、別名「Týnský dvůr ティーンスキー・ドゥブール(ティーン中庭)」「 Ungertウンゲルト」とも言われる「ティーン Týn」を旧市街広場から入り火薬搭に向かって抜け出た所に聳え立っています。
この教会は、プラハで3番目に古いバジリカ様式の教会です。
1974年3月20日には、様式だけではなく格式もバジリカであるとパウロ6世 (ローマ教皇)により宣言されました。
1232年この地に姿を現した同教会は、僅かばかりの期間ですが、「ティーン前の聖母マリア教会(ティーン教会) kostel Panny Marie před Týnem (Týnský chrám)」が13世紀に荘厳な教会へと姿を変えるまでは、旧市街広場を守る中心教会としての機能を果たしていたそうです。
「ティーン前の聖母マリア教会(ティーン教会) kostel Panny Marie před Týnem (Týnský chrám)」の後を追うように、同教会も1319年から1374年に架けてバジリカ様式教会へと姿を変えます。
同教会が重要な教会であることは、カレル4世やマクシミリアン2世 (神聖ローマ皇帝)の亡骸が一時安置されていたことでも理解できます。
1689年に火災に遭い、1702年に現在のバロック様式に変貌します。
聖ヤコブ教会に捧げられた泥棒の腕
聖ヤコブ教会の出入口には、人間の腕が鉄鎖で吊下げられています。これには次のようなエピソードがあります。
或る夜、泥棒が祭壇の柱に立つ、宝飾品で飾られた稀有なマリア像を盗もうと教会に忍び込みました。泥棒がマリア像の首から下がっている真珠の首飾りを触ったとき、マリア像が泥棒の腕を掴みました。泥棒は動けなくなり、翌朝修道士が祭壇を訪れるまで待たなければ成りませんでした。
修道士が泥棒を発見し、マリア像から泥棒の腕を外そうとしますが、どう頑張っても外す事が出来ません。仕方なく腕を切り離すと、マリア像は掴んでいた腕を外しました。
この泥棒は改心し、以後聖ヤコブ教会修道士として生涯を過ごしたそうです。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
奇跡の聖人画
聖ヤコブ教会の祭壇には、大きな聖人画が掲げられています。この絵には以下の様なエピソードがあります。
この絵が描かれていた当時、ペストが猛威を奮っていました。画家の周りの人々はペストで次々と倒れて行きましたが、画家はペストに患う事は有りませんでした。所が、画家が絵を描き上げたその瞬間、ペストに罹り他界しました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
旧市街肉屋の紋章
旧市街の肉屋さんは肉を切る斧にチェコのライオンを模した紋章を付けています。
この紋章は、ハインリヒ6世 (ケルンテン公)がヨハン・フォン・ルクセンブルク王を襲おうとした時に、聖ヤコブ教会の横に倉庫を持っていた肉屋が、勇敢にも自らの斧を手に取り王を守ったのです。その名誉として貴族にしか授けられない紋章を拝領しました。
彼の武勇伝はそれだけではありません。聖ヤコブ教会が泥棒に襲われた時も斧で泥棒の手を切り落としました。これを記念し、聖ヤコブの日に肉屋の勇気を讃え鐘を鳴らします。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]
2010年3月22日月曜日
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