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2010年10月6日水曜日

警察博物館 Muzeum policie

「Muzeum policie 警察博物館」は元々修道院であった建物を、1955年より内務省が接収して使用している警察署です。1973年より博物館として利用されています。


01 - Četnictvo 1918-38 警官隊1918年から1938年
02 - Policie ČR 警察
03 - Dopravní služba 交通警察
04 - Dopravní služba II. 交通警察II
05 - Protidrogová prevence 麻薬防止
06 - Kriminalistika 1. republiky 第一共和国時代
07 - Kriminalistické techniky 犯罪技術
08 - Místo činu 犯行現場
09 - Zahraniční bezpečnostní sbory 外人警察
10 - Kriminalistický kabinet 操作箱
11 - Státní policie, Pohraniční stráž 国家警察、国境警察
12 - Četnická stanice 警察署
13 - Ochrana obyvatelstva 住民保護
14 - Ochrana obyvatelstva II. 住民保護II
15 - Ochrana obyvatelstva III. 住民保護III
16 - Policejní složky 警察
17 - Zabezpečovací technika セキュリティシステム
18 - Kriminalistický ústav 犯罪研究所

住所;Ke Karlovu 1, Praha 2 - Nové Město
「Muzeum policie 警察博物館」周辺地図

2010年10月5日火曜日

ドボルザーク博物館 Muzeum Antonína Dvořáka

「Muzeum Antonína Dvořáka ドボルザーク博物館」は、日本人スペシャルの逸話である”ドボルザーク晩年の家”に反し、ドボルザークが住んだ事の無い、ヒョットしたら訪れたことが無い建物に入居しています。

ドボルザークが生きていたのは1841年から1904年、同建物は1843年にプラハ市が購入し20世紀初頭まで女学校でした。つまり、ドボルザークが2歳の頃から他界するまで女学校でしたので、男のドボルザークが訪れたかどうか???
音楽を教えに入ったかも知れませんが、、、
記録には書いてないので、、、

1932年にドボルザーク教会が同建物敷地内にドボルザーク像を建てた事を切っ掛けに、ドボルザーク夫人より氏の遺品を寄贈され、博物館となりますが1956年までは予約を入れて中を見せてもらう格好で、常に開館していた訳では有りませんでした。

ドヴォジャーク博物館
Muzeum Antonìna Dvořáka
住所;Ke Karlovu 20, čp. 462, Praha 2 - Nové Město,
開館時間:金~水 10:00~13:30、14:00~17:00 木 11:00~15:30、16:00~19:00
休館日:月曜
入館料:大人Kč 50、学生Kč 25、家族学生Kč 90
TEL:+420 / 224 918 013
FAX : +420 / 224 923 363
E-mail: a_dvorak_museum@nm.cz
「Muzeum Antonína Dvořáka ドボルザーク博物館」周辺地図

2010年6月30日水曜日

ネルダ通り Nerudova ulice

「Nerudova ulice ネルダ通り」は中世の面影を色濃く残した通りです。この通りには建物の入口に昔の看板を掲げた家が今も残っています。
門前市と云った感じで、お土産屋、レストラン、カフェ、ホテルなどが所狭しと並んでいます。
以下に、主だった建物を御紹介します。

4番 Dům Šoltysův (U Zlaté kotvy) ショルティスの家(金碇の家)
Šoltysショルティスが文具屋を営んでいた。
18世紀に2棟の建物を1棟に併合している。

 5番 Palác Morzinský (U Mouřenínů) モルジン宮殿
1713年から1714年に架け現姿バロック様式の館となる。
現在はルーマニア大使館。

6番 U Červeného orla レッド・イーグル
15世紀には建物が建っていた記録がある。
18世紀に現在のロココ様式の建物に建替えられる。

8番 U Sv. Tří králů (Velký Miseronský) 聖三王の家(大ミセロンの家)
19世紀に現在の姿に建替えられる。

10番 Dům Švábovský ゴキブリの家
1742年に現在の姿となる。

12番 U Tří housliček (Rabštejnský) 3バイオリンの家(ラブシュテインの家)
17世紀から18世紀に架け代々続くバイオリン製作者が住んでいた。
この館では、夜中に骸骨(幽霊)がバイオリン・コンサートを開催するらしい。

13番 U Zlaté koruny 黄金冠の家
palác Kinských元キンスキー宮殿。
hostinec Hanse Turka有名なハンス・トゥルカ酒場だった時代も有る。

14番 Dům Valkounský バルコウンの家
14世紀にはこの場所に建物が建っていた記録あり。
1696年に現在のバロック様式の姿となる。

17番
嘗て舞踏会場が有り賑わっていた。

18番 U sv. Jana Nepomuckého 聖ヤン・ネポムツキーの家
18世紀ごろ壁に聖人ヤン・ネポムツキーと聖人フロリアンの絵が描かれる。

19番
1711年まで城を守る最後の砦Strahovská bránaストラホフ門があった。
現在の建物は19世紀に建設されている。

20番 Thun-Hohenštejnský palácトゥン-ホヘンシュテイン宮殿
1924年よりイタリア大使館として利用されている。
元々有った民家5軒が有った場所に18世紀に宮殿建設。

24番 Klášter kajetánů (theatinů) カエタン修道会
1672年に修道院施設建設が始まる。
その後建物は増改築を繰り返しながら拡大してゆく。
共産党政権時代も教会は廃止されること無く運営されていた。

25番 Osel u kolébky ロバの揺篭
通りの名前ともなっているJan Neruda ヤン・ネルダが1835から1841年にかけて住んでいた。
以前はStrahovská uliceストラホフ通り、Sparrengasseスパレンガッセと呼ばれていた。
建物は1706年建設、バロック様式。

27番 U Zlatého klíče (U Zlatého noha) 金の鍵(金の足)
元々は城を守る要塞の壁だった。
18世紀頃には鍵屋が建てられた。

29番 U Bonapartůボナパルトの家
1770年から1775年に架け酒場”U Bonapartůボナパルトの家”として建設された。

32番 U Zlatého lva (Dittrichova lékárna) 黄金獅子の家(ディットリフ薬局)
現在、薬局の歴史を紹介する国立博物館分館として利用されている。
1821年より薬局が”U Zlaté podkovy 金馬蹄の家”より移転。

33番 Bretfeldský (Breitfeldský) palác
元々民家だったが1765年に宮殿建設。
嘗て社交場が有り、Giovanni Casanova ジョヴァンニ・カッシーニ、Wolfgang Amadeus Mozartモーツアルトも訪れている。

34番 U Zlaté podkovy 金馬蹄の家
1749年に薬局として開業。
屋号は、入口上部に描かれている聖バーツラフが乗っている馬、つまり馬蹄の下と云う意味。

35番 U Bílého anděla 白天使の家
1873年建設のバロック様式建築物。

39番 U Bílé řepy大根の家
19世紀に改装され現在の姿となる。

40番 Jánský sklep (U žaláře sv. Jana) ヤンの地下室(聖ヤンの地下牢)

17世紀と18世紀の節目頃に建てられた建物。

41番 U červeného lva 赤獅子の家
43番 U zeleného raka 緑蟹の家
41番と43番は一つの建物となっている。
1729年に”赤獅子”と”緑蟹”の看板が掲げられた。

44番 U tří černých orlů 黒鷲三羽の家
1841年から1845年と1857年から1869年に架け通りの名前ともなっているJan Neruda ヤン・ネルダが住んでいた。彼の父親は、この建物でタバコ屋を営んでいた。

47番 U dvou slunců 二太陽の家
1845年から1859年に架け名前ともなっているJan Neruda ヤン・ネルダが住んでいた。
ルネッサンス様式の建物を1673年から1690年に架けバロック様式に建替えている。

「Nerudova ulice ネルダ通り」周辺地

2010年6月11日金曜日

チェコ音楽博物館 České muzeum hudby

「České muzeum hudby チェコ音楽博物館」は1709年まで教会として利用されていた建物です。内部にはいると、今でも教会だった面影を垣間見ることができます。

1315年にドミニコ修道会がkostel sv. Maří Magdalény聖マグダレナのマリア教会が建てられます。
1616年には修道院施設を備えた立派な教会となります。
1709年に教会は廃止され、1783年に競売にかけられ、1789年に製糖工場が買取り一時期材料倉庫として利用されます。1792年に郵便局事務所となり、1849年以後軍の施設となり軍病院、宿舎、憲兵隊事務所として利用されます。20世紀に入り内務省文書保管所となり、2004年11月9日より「České muzeum hudby チェコ音楽博物館」となります。

Wolfgang Amadeus Mozart - Ave verum corpus


Interiér インテリア
Osmiboká kopule 屋根からの眺め

住所;Karmelitská 388/2 - 4, Praha 1 - Malá Strana
「České muzeum hudby チェコ音楽博物館」周辺地図


2010年6月2日水曜日

フクロウ水車 Sovovy mlýny

「Sovovy mlýny フクロウ水車」はプラハで一番古い水車小屋だと言われています。
14世紀には文献に出てきますが、14世紀以前から水車小屋が有ったと推測されています。

15世紀にmlýn sv. Jiří聖イージーの水車、15世紀後半Sovovský mlýnフクロウ水車、
Severínovskýセベリーノフ水車、Kosořskýコソジュ水車、1561年から再度Sovovskýフクロウ水車、1850年頃より短期間Odkolkovskýオドコレック水車と水車小屋の名前は、所有者が変わる毎に変遷します。
フス戦争後カンパ島はプラハ旧市街が所有し、Václavu Sovaバーツラフ・ソバ(チェコ語でソバとはフクロウの事。)が水車小屋を再建したことから、以後長い間フクロウ水車と呼ばれるようになります。
水車小屋は洪水、火事、戦災で目まぐるしくその姿を変えますが、現姿の原型は1850年より一時期同水車小屋を所有していたOdkolkovskýオドコレックと言われています。
1896年に水車小屋は大火に遭い廃墟となります。その後所有権もプラハ市に移り現代美術館構想が持ち上がりますが、現代美術を納めたMuseum Kampaカンパ博物館が完成したのは2002年です。その間一時チェコスロバキア科学アカデミー事務所として使われた事も有りましたが、おおむね廃墟でした。
私も1998年に美術館としての改修工事が始まるまで、ホームレスが占拠していたのを憶えております。

幸運を呼ぶフクロウ水車伝説
リブシェの時代、ペトシーン山の麓を中心にプラハ市は形成されました。
新しく出来た集落に多くの人が住み始めると、人々の胃袋を満たすために、麦を脱穀をするための水車小屋が必要となります。
当時人々は、必要な木を川に近い方切り出し始めました。当時はまだカンパ島が原始林に覆われていた頃です。木を切り出すとフクロウの集団が森林より飛び出していました。これは当時のキリスト教が伝わっていない当時のチェコ人にとっては幸運を呼ぶ印でした。
そこで、あらかた木々が切り倒されたフクロウの森が有った川岸に、フクロウの森から切り倒した木で水車小屋を建てる事にしました。そして、プラハ最初の水車小屋は“フクロウ水車”と名付けられました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

住所;U Sovových mlýnů 2, Praha 1 - Malá Strana
「Sovovy mlýny フクロウ水車」周辺地図


2010年5月18日火曜日

カレル橋博物館 Muzeum Karlova mostu

「Muzeum Karlova mostu カレル橋博物館」 は、カレル橋礎石式650年を記念し2007年6月15日にオープンした博物館です。
プラハ市が運営している博物館なので、カレル橋以外にプラハ市の歴史等もこの博物館で見学することが出来ます。

住所;Křižovnické náměstí 3, Praha 1
「Muzeum Karlova mostu カレル橋博物館」周辺地図

2010年5月14日金曜日

ベドルジハ・スメタナ博物館 Muzeum Bedřicha Smetany

「Muzeum Bedřicha Smetany ベドルジハ・スメタナ博物館」は勿論ベドルジハ・スメタナを紹介する博物館です。同博物館は役目を終えた「Staroměstská vodárenská věž a vodárna 旧市街給水所」を利用し1936年5月12日に開設された博物館です。5月12日はスメタナの命日であり、”プラハの春音楽祭”開会の日でも有ります。

「Staroměstská vodárenská věž a vodárna 旧市街給水所」は1576年に木造給水搭が建てられますが、直ぐに消失します。1577年に現在の給水搭が姿を現します。この給水搭は、1884年まで旧市街の水汲み場み水を供給していました。その後、プラハ市水道局の事務所として1935年まで利用されていました。

住所;Novotného lávka 1, Praha 1 - Staré Město
「Muzeum Bedřicha Smetany ベドルジハ・スメタナ博物館」周辺地図

2010年5月10日月曜日

アネシュカ修道院 Anežský klášter

「Anežský klášter アネシュカ修道院」は、ヴァーツラフ1世 (ボヘミア王)とその妹アネシュカが、1233年から1234年に架け元々有った病院を改造しフランシスコ会とその女子修道会クララ会として創設し、アネシュカが最初の修道院長として納まりました。
こう云った設立経緯から歴代のプシェミスル朝王家の墓としてもしられています。

修道院敷地には男子修道会用教会にkostel sv. Františka聖フランシスコ教会。
女史修道会よう教会にkaple sv. Maří Magdalény聖マグダレナ・マリア礼拝堂, kostel sv. Salvátora聖サルバトール教会、 kaple sv. Barbory聖バルボラ礼拝堂があります。
1556年に修道会施設はドミニコ会に引き継がれます。そして、建物の一部は売却されたり賃貸されたりしました。1689年の大火後、一部は放置され、一部はバロック様式の建物に建替えられます。

1782年に修道院は廃止されますが、修道院内教会での礼拝は絶える事無く、教会は1986年に廃止されます。1978年に国宝指定を受け国立ギャラリーの施設として利用されることになります。

聖アネシュカの聖性
皇帝カレル4世が旧市街にある聖アネシュカ修道院を訪れたさい、聖アネシュカが教皇から賜った”聖ニコライの指”を謁見することが出来ました。皇帝は指が欲しいとミイラ化した指を無理に切りました。すると指から血が流れました。皇帝は驚き元に有った所に戻しました。
それから暫くして、再度皇帝が聖アネシュカ教会を訪れ”聖ニコライの指”を見たところ、二つに切られた指は傷跡一つ無く一つに付いていました。皇帝はこの奇跡を見て、指は聖アネシュカ教会に大事に奉納することに決めました。
[参考文献;PRAŽSKÉ POVŠSTI A LEGENDY, Sebral JOSEF SVÁTEK, PASEKA]

住所;Anežská 12/811, Praha 1 - Staré Město
「Anežský klášter アネシュカ修道院」周辺地図